ヨガの成立した社会とは?
インドで成立したヨガには5千年の歴史があると言われています。
ヨガは簡単に言えば、内なる神(真理)と合一するための方法として開発されました。
ヨガはYOKE=「つなぐ」という言葉が原義になっていますが、これは自分と真理をつなぐという意味があるのです。
そして、このヨガはインド文明の超初期の頃から行われていたことが分かっています。
例えば、紀元前2500年前の遺跡である、モヘンジョダロの遺跡でも瞑想をする行者のレリーフ(下図)が見つかっています。
ヨガの歴史の中でとても大きな役割を果たしているのが、紀元前300年に成立したヨガスートラという経典です。
この経典はパタンジャリというペンネームで何世紀にも渡って執筆されたことが分かっています。
このヨガスートラはヨガ実践者の基本的な姿勢を解説しているのですが、この当時、インドを席巻していた初期仏教にとても大きな影響を受けています。
ヨガの修行法自体は仏教以前から連綿と続いていました。
仏教はヨガの技法の根本的な部分であるウパニシャッドをより純粋に取り入れていると指摘する人もいます。
しかし、仏教の登場によって、ヨガのあり方や、修行法自体もまた変化したのです。
これについては、仏教とヨーガという書籍に詳しいので、深く知りたい方はそちらをお読みいただきたいと思います。
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インドという過酷な世界
こちらの記事で私がお伝えしたいことは、現在、私たちが知っているヨガというものは初期仏教からの影響を多分にうけているということです。
そのため、仏教の成立について考えたほうが、急がば回れで分かりやすいという部分があるのです。
インドにおける初期仏教とは当時のインドの社会システム自体に異議を投げかけている、ある意味、非常にアナーキーな教えです。
仏教が何に異議を投げかけたかって言うと、人間の在り方ほぼ全てについてです。
特に、今でもインドに残っているカースト制度についてでもあります。
このカースト制度というのは、日本人には馴染みが薄いでしょうから、簡単に解説しましょう。
カースト制度はインドの社会構造の隅々にまで行き渡っている価値観であり、社会制度です。
カースト制度で最も有名なものは職業選択についてでしょう。
例えば職業は生まれによって引き継いでいくという暗黙のルールがあります。
その結果、楽器売りの子どもは楽器売りになり、その職業にしかつけないのです。
そして、カースト制度は男女のしきたりについても大きな影響を与えています。
この男女のしきたりのルールは、日本から見ると、女性差別であるように見えるでしょう。
例えば、インドのある地域では女の子が生まれるとお嫁に行く時に持参金が必要でお金がたくさんかかるという伝統があります。
女の子が生まれると持参金が大変だから、女の子が生まれたらそのまま捨ててしまったりもするという文化が未だに残っています。
さらに、男女の差別だけではなく、例えば、アウトカーストという制度もあります。
これは「カーストの外にいる人々」という意味で、トイレの掃除や死体の処理などを担当している人たちです。
それも一生行うべき仕事として存在しています。
しかも、そこで犠牲になるのがまたしても女性と子供です。
アウトカーストの男性は結婚するまで自分の仕事については黙っていて、結婚した後にその仕事を女性に押し付けてしまう、子供が生まれたら子供に押し付けてしまう、というような構造が存在しています。
これだけ聞いても後味の悪い話ですが、さらに続きがあります。
アウトカーストの人々はこういった仕事をしていて可愛そうだというだけじゃないんです。
彼等は一日に何人も他のカーストの人々に悪態をつかれたり、リンチされたり、悪い時には殺されたりしているのです。
これは1000年前のお話ではありません。
今でも続いている状況です。
しかし、こんなひどい現状がなぜ続いているかというと、カースト制度はインドにおけるインフラであり、社会基盤をなすものだからです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、カーストがあることによって、社会が現行通り回っているという点があるのです。
インドは憲法上、カーストを否定しています。
しかし、もしもカーストがなくなってしまったら、社会が大混乱に陥ると言われているという部分もあるのです。
過酷なインドの社会状況があったからこそヨガや仏教が生まれた
こういう過酷な場所で生まれたのがヨガであり、仏教であることを私達は理解しておかなければいけません。
つまり、この滅茶苦茶がんじがらめの社会の中だからこそ、何ものにも囚われずに自由になりたい、あるいは、自由な人こそが最も尊いという発想が生まれたのです。
この地獄のような社会から逸脱するために、ヨガだったり仏教だったりが成立していることは理解しなくてはいけません。
仏教では『子供を作るな』とか、『男性は女性と接触するな』という戎があります。
上座部仏教を実践しているタイやスリランカの仏僧は結婚をすることはありません。
どうしてそうなるかというと、自分が子供を産んだら、自分のカーストを引き継ぐ不幸な存在を生み出してしまうからです。
例えば一生差別される仕事をする人を生み出してしまうからなんですね。
だから、もう子どもという存在にすらこだわらない。
或いは、そうやって子供にも因縁を引き継がせようとする社会構造に静かにノーを突きつけているのです。
社会に対して暴力的に殴りこむのではなく、自分が子孫を残さないことで、その構造を変えようとしているとも言えます。
自分自身が誰かと交際したり、子供を作ったりという愛欲から離れることで、新しい業(カルマ)を創りださない、輪廻を繰り返さないという決意を表明し、一生をかけて実践しているのが仏教というものの成り立ちでもあるのです。
現代の日本人にとっては「カルマ」とか「輪廻」とか聞くと、スピリチュアルな呪術的なことのように思えるかもしれません。
しかし、インドでは人の命を脅かすほどリアルなものとして存在しているのです。
紀元前6世紀に仏教は成立し、その後、インド全土に拡大していきます。
特に紀元前3世紀のアショーカ王の時代、仏教は国教として成立し、インドの外にも伝播していきます。
この仏教全盛の流れの中にあったために、従来は神と合一するという宗教体験・神秘体験のために存在していた宗教儀式ための技法であったヨガもまた、仏教的な側面を持って変質していったのです。
このように、ヨガと仏教の関係について知ることによって、自分がヨガを行うということは、社会に対して何らかのメッセージを投げかけることだということがお分かりになると思います。
国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。
“ヨガスートラの成立に大きな影響を与えた仏教” への1件のフィードバック