姿勢美法の習慣2:私たちが脱力を行なう理由

脱力のワークはとてもシンプルなメソッドですが、ハーブヨガを実践する上で必要不可欠な習慣です。

では、どうして脱力のワークを行なうのでしょうか?

これも30秒程度考えてみてください。

あなたが脱力することはハーブを受け取ることの第一歩だからです。

あなたが脱力しているだけで世界から癒されている状態にあるのです。

脱力と聞くとニュートラルな状態だと思うかもしれませんが、実際には脱力というのはものすごく素晴らしいことです。

脱力とは「誰にも身構えることなく、自由でいられる」という状況です。

これほど楽なことはないでしょう。

つまり、楽を極めているわけですから、極楽の状態であるといえます。

Tune-inの解説でも挙げましたが、殆どの人は常に思い込みという鉄アレイを持ち上げています。

それも必要性も感じないのに、それが当然だと思って持ち上げています。

 

或いはそもそも自分が鉄アレイを持ち上げていることにすら気づいていないかもしれません。

その持ちあげなくてもいい鉄アレイを持ちあげることで、朝から晩まで疲れきっている状態なのです。

体との対話を通じて、鉄アレイを発見し、それを放すというのが脱力なのだといえます。

脱力を通じて自分の持ち上げている鉄アレイの存在に気づいて、それを持ちたくて持っているのか、それとも持たされているのか、どのように持っているのかを把握できるようにもなります。

同じ持つという選択をした場合でも、自分の意志が働いているわけですから状況は大きく異なっているのです。

そして、それこそがあなたの中に極楽を作るということにつながっていきます。

その結果、脱力をすることで世界があなたの味方になります。

ハーブヨガのクラスでは7割ぐらいの人が脱力を初めから上手く行なうことはできません。

みんな肩が上がっていたり、腕の緩みがぎこちなかったり、表情が硬かったりします。

どこかに硬さが残っている状態です。

脱力のワークを通じてわかるのは、殆どの人が自分が緊張していることに気づいてすらいないで生きているということです。

あなたがハーブヨガを教え始めると、こんなに沢山の人が自分の緊張に無自覚に生活しているということに愕然とするかも知れません。

或いは、ハーブヨガを実践することで、自分の体にものすごく力が入っていたことを知って、驚くかもしれません。

 

脱力と怒り:東南アジアと日本の比較

これはTune-inを通じて世界平和が達成されるというのと同じですが、脱力を通じても世界が平和になります。

緊張というのはもうすでに相手への怒りのスイッチを押してしまっている状態だからです。常に一触即発の臨戦態勢に入っているわけですね。

後は相手が現れればいつでもその怒りを発散できる状態になっています。

これは別に紛争が起きているアフリカや中東の話ではありません。

日本で起こっている話です。

特に日本の都市部では多くの人が常にイライラしている状態にあります。

これは特に東京、或いは日本にいると感じます。

タイなどの東南アジアに行くと、明らかに現地の人たちは脱力していますが、東京の場合には人に少しでもぶつかると、イライラして舌打ちをするような雰囲気があります。

東京の場合には歩いている時もどんどん追い越していきますし、多くの人が常に何かに追われているような素振りをして行動しているように見受けられます。

こういった焦りの感情も砂嵐の中にいることなのです。

東南アジアの人たちが歩いている場合には、人を追い越すということはあまりないように思います。

自動車の運転の作法でも大きく違います。

日本ではマナー違反をしている人がいると、普段おとなしい人でも怒りのライセンスが与えられたと見ると制裁としてのクラクションをビーッと鳴らす人が沢山います。

しかし、タイの場合にはマナー違反の回数が非常に多い割にはクラクションを鳴らす回数は少ないように思えます。

もちろん、すいませんねという時にプップッと鳴らすことはありますが、日本のように怒鳴り声の代わりにクラクションを鳴らすことはありませんね。

また、タイの場合、自動車では追い越しが激しいですが、急いでいる人にはスッと譲ってくれる人がほとんどです。

その時に「追い越しやがって」というふうに怒りを感じるということはなく、どんどん行かせてしまえばいいぐらいに思っているようです。

これも他者を許すということですし、これが自然にできる文化もあるのです。

 

日本の場合には積極的にマナー違反をすることは殆ど無いと思います。

むしろ、運転のマナーは世界的に見てもかなりいい方だとも思います。

でも、それはあくまでも逸脱者がいない場合の話です。

もし、誰かがマナー違反をしたら烈火のごとく怒ってしまいます。

「何、あの人?」というように目つきで怒りますし、声に出さずとも心の中で激しい攻撃を行なっています。

これはクラクションを鳴らしたり、バカ野郎と罵声を浴びせたりした人だけが怒っているのではありません。

私達はそういう人を見て「あぁ、あの人怒っているな」と顕在意識では思っていますが、内面ではすかっとストレスを解消しているわけです。

むしろ、その怒っている人に「よくぞ言った」「いいぞ、もっとやれ」という具合に拍手喝采しているわけです。

何が言いたいかというと、他者の怒りに喝采を浴びせてカタルシスを得ているうちは、私達もまた怒りの砂嵐の中にいるということなのです。

怒声を上げて怒っている人だけではなく、その周りを囲む人びとは皆、怒りの砂嵐の中で怒鳴り散らしているのです。

 

東南アジアの仏教圏では怒りを出すということは、その原因がなんであれ、すごく悪徳だとされている部分があります。

怒っているということはその人の程度が低いとすら思われてしまうので、日常の些細な事にもすごく気をつけて生きている部分があるのかもしれません。

それこそが国全体の脱力感として定着しているのです。

勿論、東南アジアが天国だとは言いません。

タイでも暴動は起こります。

犯罪率はむしろ日本より高いでしょう。

理不尽極まりない事件だってしょっちゅうあります。

しかし、暴動で怒っている人の傍らには音楽をかけて踊ったりして楽しんでいる人、ジュースや食べ物なんかを売って商売に変えている人が近所中から集まってきます。

私自身もデモの現場に足を運んだことがありましたが、皆が皆、怒っているわけではありませんでした。

何がどうあっても他者の怒りに巻き込まれないという姿勢がよく現れていると思います。

別にタイや東南アジアの人が本当に立派だとは言いませんが、本当の意味の脱力というのはこういう姿勢なんだと思います。

つまり、脱力感とは一見何も考えていないような間抜けな印象がありますが、その実情は「自分も含めて私は誰も傷つけない」という強固な誓いが隠されているのです。

これがアヒンサーの実践でもあるのです。

 

そして、この姿勢は誰でも身につけることができます。

例えば、タイに住んでいると日本人も変質していき、例えば、歩くスピードが遅くなっていくからです。

逆に言えば、日本人を他の文化圏の人々と比べることで、いかに日本人がその国の持っている歴史や文化に左右されているかということがわかるわけです。

これは知らず知らずのうちに95%の無意識の中に入っていることです。

私達が育った環境によって、大きく影響されているということに気づくためにも、まず自分以外の文化圏の人びとを知ることはとても大事なことです。

脱力することで社会が変わる

グローバル化していく社会だからこそ他者と衝突し始めたら、生きるか死ぬかのとんでもないことになります。

だからこそ、脱力が必要になります。

脱力とは他者の怒りに巻き込まれないという意思表明であり、その実践だからです。

他者の怒りに感応しないという訓練を通じて、脱力というものが本当の意味で完成されていきます。

これはあなたの目の前に本当に怒っている人や焦っている人がいて、あなたに何かを言ってきたとしても、自分自身は絶対に揺るがず、しかも、相手を攻撃することもなく、「どうぞ、どうぞ」と許せる姿勢です。

普通だったら他者の怒りによって自分自身にもその炎が延焼してしまうような場合にこそ、あなたの脱力が試されるのです。

クラスや日常生活で脱力というのはいわば練習の場にしか過ぎないのです。

 

そして、肝心なことはあなたが脱力できていないということは、あなたの周りの人達を不必要に緊張させ、ともすれば傷つけているということです。

これはただのコンセプトレベルの心構えのような話ではないのです。実際に起こりうる物理的な事象です。

まず、あなたの呼吸が浅く緊張している状態だとしましょう。その時、あなたの肩には力が入ってしまいます。

それを見た人の多くは、あなたの攻撃から自分の身を守るために、あなたの姿勢をそっくり真似しようとします。

これは本能レベルで行なわれますので、普通の人には回避することができません。

簡単にいえば、仲の悪い犬が二匹向き合って歯を剥いている状況ですね。

あなたの緊張は周囲を不快にさせるだけではなく、実際に彼等を疲労させてしまうのです。

場合によってはその中で衝突が起き、誰かが傷つく結果が生まれてしまうのです。

アヒンサーとヨガでは言いますが、脱力ができず、不機嫌であるというだけでこの戒めを犯してしまっていることになります。

 

例えば、先ほどの例で交差点で赤信号を無視した人がいるとしましょう。

すると、「あの野郎、何やってるんだ」と憤る人もいるでしょう。

その結果、その場に居合わせた皆がその怒っている人に感応して、「そうだそうだ」と怒りを集中させてしまいます。

この怒りの砂嵐はただ視界を曇らせ、混乱させるだけではなくて、攻撃の連鎖へとつながっていくのです。

私達の心の95%以上を占める無意識の中に入っている一人一人の怒りが、他者の怒りを許容する風潮を作っているわけです。

その結果、暴力を容認する結果になるのです。

だから、この世界の一人でも多くの人が、脱力できるようになることが重要になってきます。

ものすごく脱力の観想の力が強い人がいたら、他の人が罵声を浴びせることもないのかもしれません。

もしも、あなたが強い脱力の観想の力をみにつけることができたら、誰もあなたの周りでは怒れなくなるでしょうね。

 

坂本龍馬がものすごい天才だという話でこんな逸話があります。

坂本龍馬の活躍した時代は幕末の動乱期ですから、敵と見られれば殺されても仕方がないという時代でもあったんです。

ある日、彼は敵対するグループに見つかってしまい、双方に不穏な雰囲気が流れました。

その時に彼がやったのは、たまたま近くにいた犬を思いっきりかわいがったそうです。

 

「かわいいー!」と無邪気に。

すると、殺そうとしていた人たちが一瞬、肩から力が抜けてしまい、その瞬間に坂本龍馬は逃げることに成功したそうです。

こんな風に強い脱力というのは、今ここで自分を殺そうとしている相手をも脱力させてしまう力があります。

これは合気道でも言われていることです。

あなたが脱力をするということは、あなた自身の癒しというだけではなく、誰かに悪事を働かせないくらいの強い力を持っているということなのです。

非常にリラックスの強い力が他者にも働くのです。

人間というのは存在しているだけで他人に影響を与えますから、脱力を学ぶことはあなたが大きな力を身に付けるために行なっているのだと自覚して実践しましょう。

脱力のワークはとてもシンプルでともすれば何気ないワークに見えるかもしれません。

しかし、脱力を身につけることはあなたに鉄壁の守りを与えることにもなるのです。

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国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。

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