クレドサークルもいよいよ佳境に入ってきました。

今回はクレドベーシックの20番目についてシェアしたいと思います。

クレドのベーシック第20条
20.仕事と家庭は直結していますので、私たちはその双方を向上させます。私たちは、自分の、家族の健康に留意します。健康とは自分の心のバロメーターです。無理をして体を傷めたり、家族との関係性を犠牲にしたりしてまで仕事をすることをハーブヨガでは評価しません。

今回は家庭についてのクレドですね。

犠牲を強いる心は幸せを生まない

なたが仕事をすることも、あるいは家庭を持つことも、両方ともあなたの幸せのために行っていることです。

あなたが幸せになるということは、あなたの家族が幸せになることであり、あなたの職場の仲間や仕事に関わる人々が幸せになるということです。

しかし、今の時代はまだまだ家庭の幸せは仕事の幸せと対立することもあります。

私達は無意識に「何かを得るにためには何かを犠牲にしなければならない」という思いに操られています。

その代表的な例がお金です。

なにか欲しい物を購入するためには、大事なお金を差し出すという痛みを味合わなければならないと訓練を受けるのです。

しかし、この犠牲を求める心・犠牲をよしとする心というのは、とても危険なものになりえます。

なぜかというと、人間は家庭の幸せだけでも、仕事を始めとする社会的な活動における幸せだけでも、本当の意味での幸せには至れないからです。

じゃあ、何が本当の意味での幸せなのでしょうか?

多くの哲学者や思想家や宗教家がこれについて述べてきましたが、はっきり言えることは、何かを犠牲にして、何かを得ている状況は幸せとは言えないということです。

何かを得るために自分の本心を押し殺したり、我慢している状況は必ず怒りの感情を内側に埋め込んでしまい、その怒りは私たちの思考を阻害するからです。

だから、あなたは「Aか、Bか?」と迷う時には、必ず自分が犠牲を強いていないか、自己犠牲を引き受けようとしていないかチェックを入れなければいけません。

上図:人生の岐路に立つ時こそ、「犠牲」という言葉を忘れないようにします

ヨガの追及と人間関係を両立しよう

今回のクレドでは家庭をハーブヨガのお仕事の犠牲にしないことを簡潔に解説しています。

私自身、沢山のヨガ実践者の方たちと接する機会から、このクレドの大切さだけは伝えたいと思っています。

それは書籍にも書きましたが、ヨガにのめり込むことによって自分自身の関係性を蔑ろにする人があまりにも多いという危機感からです。

「家庭で嫌なことがあっても、仕事で嫌なことがあっても、ヨガを行っている間は救われますよ」

そんなことを日本のヨガ指導の第一人者の先生が書籍でおっしゃられているのを読んで、私は愕然とした経験があります。

  • ヨガを行うことで現実に対する感性が麻痺したんじゃ意味が無いんじゃないか?
  • 鎮痛剤のようにヨガを行っていることは、麻薬をやることと何が違うんだろうか?
  • そもそも、そんな姿勢じゃ現実世界で幸せになるなんて不可能なんじゃないの?

沢山の自問自答と、試行錯誤のすえに、生み出されたのがハーブヨガの現在のスタンスです。

「家庭でもハーブになり、仕事でもハーブになるための練習をハーブヨガでは行おうじゃないか!」

ということです。

何かを犠牲にして何かを得ることは、ある意味とても容易いことです。

何も犠牲にせずに世界のありとあらゆるものを楽しもう(ハーブに変えよう)というのは、よっぽど困難な道です。

そして、困難な道だからこそ、歩むべき意義があると私は考えます。

あなたがハーブヨガの指導者として生徒さんから尊敬されること、ハーブボールSPAセラピーのセラピストとして信頼されることも大事なことです。

しかし、それだけで満足してはNGです。

あなたの周りの家族の顔を見てみましょう。

あなたといることで幸せそうでしょうか?

窮屈そうにしていないでしょうか?

身近な人間関係の中にこそ、本当のあなたを知るヒントがあるのです。

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