
今日から「ハーブボールでセラピスト革命!あなたのステージを劇的に変える7つのカギ」をお送りします。
本日は私、宗冨美江とハーブボールの出会いについてお話させて下さい。
2006年、私は夫の留学先のタイに当時生後4ヶ月の息子と一緒に移り住みました。
場所はタイの首都であるバンコクではなく、片田舎の大学院の寮に住んでいました。
当時の私たち一家はそろって虚弱体質。
すぐに風邪を引いては長引く生活でした。
息子は小児喘息を発症し、入退院を繰り返していました。
私はというと出産前から、卵巣嚢腫・子宮内膜症を抱えており、いつも体調は不安定でした。
これらの症状は原因不明とも言われることも多く、不妊の原因とも言われています。
生理痛やPMSがひどくなるだけでなく、どうにも体調が悪く、気力がわかない状態だったのです。
ある日のことです。
息子の健康のために日本で購入した東城百合子先生の「自然療法」という本を読んでいました。
その中では米ぬかや生姜、枇杷の葉といった身近な素材を使用した療法について解説されていたのです。
すると驚きました。
これらの素材を使って手当をすると、心も体もじんわりと温まりスッキリしたのです。
息子の小児喘息の症状も自然の手当てを通じて少しずつ良くなっていきました。
生姜やゴマや米ぬかなんて、普通に手に入る素材であっても人間を癒やすパワーを持っているんだ。
と自然の力に感動したのです。
自然療法の本の中に出てくる日本のハーブをタイにいてはなかなか手に入れられず悶々としていました。
そこで、タイのハーブについて調べてみると、逆にタイはハーブ天国だったのです。
レモングラス、カー、プライなどタイには様々なハーブがあります。
その出会いに運命を揺さぶられたのです。
特にハーブボール。
当初はタイのSPAでもらってきたものを自宅でも使用していましたが、その温かさ、気持ちよさ、香りの素晴らしさには心底驚きました。
そして、何よりハーブボールのすごいところはお手軽であること。
日本の自然療法のスタイルで息子を生姜で手当しようとすると、生姜をおろして、生姜液を作って、あちちあちちと言いながらタオルの温度を管理して…と汗びっしょりになりながら相当な手間をかけてお手当します。
さらに、生姜液は作り置きができないので、手当ての度に同じ手間を必要とします。
しかし、ハーブボールは作るときには相当な手間がかかりますが、手当の際には持ち手があるので手軽に扱えるのです。
しかも、1週間程度も使えるのです。
さらに、驚いたことがあります。
手間がいらないだけでなくて、ハーブボールは日本の自然療法のように気持ちいいという点です。
タイマッサージやアーユルベーダのサロンで受けるとポンポンと叩きつけるようにしてハーブボールを使うのですが、これがちっとも気持ちよくありませんでした。
「じわーっと当てる方がずっとずっと気持ち良いのに、どうしてこんな使い方をするのだろう?」
私はいつもそう感じていました。
私は日本の自然療法式にハーブボールをじわーっと体に長時間当てるほうが気持ち良いと気づいていたのです。
ハーブ成分が熱を伴って浸透してくる心地よさったらありません。
体の深い部分をほぐしていく感覚があり、呼吸も穏やかに深まっていく。
私は一発でその気持ちよさの虜になってしまったのです。
気持ちよくて、手軽で、体質改善できる。
もし、みんながこの秘訣を知ったのなら、何が起こるだろう?
私は夫と二人でバンコクにサロンを作ってみる計画を立ててみました。
自然の手当を始めるまで、私達家族三人で一ヶ月にかかっていた医療費はなんと約10万円!
誰かが風邪を引いてはそれが次々に移り、治った頃にまた誰かが風邪を引くという悪循環でした。
さらに、食中毒やものもらい、傷口の化膿で手術するなどなどちょっとした疾患が大きな治療を必要とするほど免疫力が弱っていたのです。
私達がハーブに目覚め、自分たちの内側にある強さを育て始めると、薬いらず医者いらずの生活になったのです。
かかっていた医療費が月10万円から月0円!これはとても自信になりました。
バンコクの病院に行くと、様々な病で苦しんでいる方たちにも出会いました。
私達が救われたこの知恵を分け与えられないだろうか?
ハーブボール、ヨガ、食事、言葉などなど、人生の中で大切な要素を学べるサロンを立ち上げられないだろうか?
まさかそんなこと、できるわけないよね、でも…。
大学の寮の片隅で始まった個人的な体験が、ついに世界にシェアされようとしていたのです。
【今日のKotodama Work:あなたのコアを発見しよう】
・あなたの人生の中で絶対に叶えてみたいことは何ですか?
明日はサロン立ち上げについてお送りします!
是非、楽しみにして下さいね。
国際ハーブボール協会
宗 冨美江

国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。