
最初に
過去に開催したバンコク留学合宿講座にご参加の複数の生徒さんの体験談をエリコさんという一人の女性として以下にまとめ、ご紹介しています。
エリコさんの体験談の講座スタイルは、現在開催しているカリキュラムとは日程や内容が一部、異なります。
ただし、ハーブヨガを学ぶ一人の生徒さんという視点ではビジョンは同じですのでハーブヨガを学ぶ際のご参考にしていただければ幸いです。
3週間の講座 :エリコさん 38歳 女性
私がハーブヨガを知ったのは、インターネットを何気なくさまよっている時だった。
もともと、ヨガや瞑想に興味があった私は、
その当時、「講師資格を取るのもいいかな~」と思って色んなウエブサイトを見ていたのだ。
「ハーブヨガ???」
それは私の知らない種類のヨガだった。
「また、新種のヨガ?まぁ、でも面白そうだし、見てみようかな・・・」
私は目新しいヨガの種類が紹介されている「ハーブヨガ」のホームページに何気ない気持ちで入ってしまった。
それが運命の分かれ道とも知らずに。
ハーブヨガのページには多種多様な情報が網羅されていて、「なんだこれ!?」と驚きの感覚のほうが強かった。
特に、ハーブヨガや姿勢美法という新しいメソッドを開発していて、
しかも、私の好きなタイで教えているのが斬新で印象に強く残っていた。
バンコクでカリスマ的な存在になった後、日本でも書籍を出版するなど、
実績を認められていることなど、ページを読み進めるうちにハーブヨガに魅力に夢中になっていった。
この時点では自分がこの人生を変える講座に参加するなんて微塵も考えていなかった。
むしろ、怖いもの見たさというか、好奇心だけでページをスクロールしていったのを覚えている。
私はそれまでにハタヨガ、アシュタンガヨガをやってきたけれど、
ハーブヨガのアプローチは他のヨガとは全く異なっていた。
というか、ヨガという枠組みだとどうしても運動=アーサナの完成を目指すと思っていたけれど、
ハーブヨガの場合は人間関係とか、言葉や他の様々なことまで含む。
それらは確かに大切だけど、
既存のヨガでは扱わないものを真正面から扱っている印象を受けた。
「言葉かぁ・・・」
私はあんまり自己表現が上手くない。
過去の人間関係においても、言葉足らずなために相手を傷つけたり、
自分の気持ちを素直に伝えられなかったりしていた。
その当時は誰も付き合っている人もおらず、自分の言葉とか人への接し方に疑問を持っていたのも事実だった。
ヨガの技術について教えてくれる養成講座はいっぱいあるし、
海外でヨガ資格を取れるところもいっぱいあるけれど、
どれもが平均的で、「私のための講座」という感じではなかった。
そういった講座は参加者も皆、明るくて、元気そうで、馬鹿みたいに幸せそうに見えた。
だからこそ、あまり深いことを学べないんじゃないかとか、大手の講座が本当に自分にあっているか不安があったのだ。
「浜辺でヨガのポーズを取るのだけが目的でもないし・・・」
そういった広告の中で美しく映し出された参加者の様子は何だかとっても「浅い」もののように思えた。
私は本物に出会いたかったのだ。
その意味ではハーブヨガは私の知りたかったこと、不安を抱えていたことについて、
何かきっかけを与えてくれるんじゃないかと思ってしまった。
「資料請求?」
読み進めていくと、資料をメールで送信してくれるらしい。
請求してみることにした。
もちろん、この段階では本当に自分が講座に参加するとは思っていなかった。
大体、3週間も休みが取れるとは思ってなかったし、
自分がこういった本気度の高い(?)ヨガの講座に値するのか分からなかったから。
そして、事務局からメールが届いた。
「どんな内容なんだろう?」と胸をわくわくさせながら資料を読み始めた。
「どんな未知の世界が広がっているんだろう・・・?」
私はどちらかというと、「癒し」を求めていた。
過去の人間関係や、ヨガの分野でも自信を持つことの出来ない、傷ついた自分の心を癒してくれるような講座を求めていた。
海外で講座をやっているというのも、そういった非日常生活が自分の心と体を癒してくれると思っていたからだ。
しかも、ハーブヨガはタイ、バンコクだ。
行ったことはないけれど、常夏の大都会だし、
アジアンなスパやタイ料理も楽しめそうだと、内心、楽しみにしている部分もあった。
「学習するのもハーブヨガだし、きっと、エキゾチックな講座内容で癒されるかも・・・。」
しかし、講座資料は私に強烈なショックを与えることになった。
先生たちの熱さに多少なりともビビッてしまった。
読み進めるうちに、冨美江先生の辛らつな言葉がどんどん心に入ってくる。
特に、
「お前、ヨガの先生やってたけど、それって、俺ら、家族にとって何だったの?」
という夫婦にとって、妻がヨガの資格を取るということの将来像をみせられて、ふきだしつつも、
「笑っている場合じゃないか」と自分のこれまでを反省することになった。
確かに私も昔の恋人にヨガのことを、ちゃんと教えたこともなかったし、
彼氏は彼氏で適当に健康管理できるもんだと思っていたから。
彼氏がたまに熱を出して寝込んでいても、何の疑いもなく市販の薬と栄養ドリンクを渡していたし、
それぐらいしかないと思い込んでいた。
彼氏も私がヨガをやっていることについて、運動している程度の認識しかなかったんだろうか。
私は「自分のやっていたヨガって何だったんだろう?」と、
まるで自分が病床の男性になったかのように考えてしまった。
私は自律神経が失調しやすい自分のためだけにヨガをやっていて、例え身近な人であっても教えることはなかった。
ずっと、自分勝手に自己満足をしていたのだ。
このままでは、将来、結婚しても旦那さんにはヨガを教えることはないかもしれない・・・。
さらに読み進めると、抱腹絶倒のユーモアやかなり黒いブラックユーモアなどを交えながら、
かなり分かりやすくハーブヨガのコンセプトを理解することが出来た。
ページ数は多いけれど、面白い写真と図解も多いし、読み進めるのは苦痛ではなかった。
正直言って、ここまで無料の資料に書いてしまっていいのかと心配になるほど、
高品質のエッセンスが沢山散りばめられていた。
資料を読み終えるころには、私が当初持っていたハーブヨガのイメージはがらりと変わっていて、
どちらかというと優しい癒しサロンではなくて、ラディカルでカリスマ的な思想家サロンに思えた。
それはまるでフランス革命前夜のサロンのように、情熱で熱く燃えている印象を受けた。
講座のカリキュラムにしても夢や白昼夢の解析や、
ビジョンの鍛え方、食事、そしてハーブヨガなど気になるものが目白押しだった。
特にビジョンを共有して体質改善を起こしていくという考え方は、
これまでのどのヨガにもない発想で何か大きな可能性を感じた。
もともと、健康や美容といった方面で、何か指導できるようなことがあったらいいなと考えていたので、
手に職をつける意味でもいいかもしれない・・・。
私でも身につけられるかもしれない。やってみたい・・・。
資料を読み始めた日から1週間、その思いが日増しに強くなり、
ついには私は講座日程についての照会を取って見ることになる。
こんな物凄い資料を作ってしまうなんて、
「どんな怪しい人がやっているんだろう?」と、内心思っている部分もあったし、
実際問題として、会社勤めで3週間連続の休みなんてものは期待できなかったからだ。
しかし、実際の先生達の受け答えは丁寧で適格だった。
これなら信頼できそうだと思えた。
それから、数日後、私は上司に頼み込んで、連休と有給を駆使して3週間連続はむずかしかったけれど、
2週間と1週間別々の休みをもらうことに成功した。
上司はちょっと驚いた様子だったけれど、何とかOKを出してくれたので感謝している。
今の職場ではずっと無難に生きてきていて、
上司にそんな無理なお願いをしたのは初めてだったけれど、どういうわけか成功してしまった。
自分でも訳が分からないまま事態が進行しているんじゃないかというぐらい、
トントン拍子に私はハーブヨガの門へと吸い込まれていくような感覚があった。
この資料にも書かれている事だけれど、
本当に合宿に来る前から講座は始まっていたのだ。
こうやって、自分の人生について悶々としたり、上司と交渉してみたり、
同僚に仕事をお願いしたりなど、今までしてこなかったことを1週間の間に片付けてしまっていた。
自分の内側にこんな実行力があるなんて驚きだった。
ある意味、「我がままに生きるってこういうことか・・・」
と、自分の勝手さによって、楽しめることを自覚した最初の一歩だった。
心配だったハーブヨガの講座手続きは意思疎通に問題もなく、合宿日程の調整もきっちりと行えた。
タイでの講座参加になるけれど、英語やタイ語の書類を用意することは一切なかったし全てE-Mailで手続きを終えることが出来た。
「それではプレ講座をはじめます」
ハーブヨガからのメールで合宿講座以前のプレ講座の開始が宣言されて、
私はKotodama Workと呼ばれる書き込み形式の瞑想法を進めることになった。
それと同時に、事前の体質を把握するためのカウンセリングシートも提出することになった。
それは1週間分の食事・睡眠・運動・排便・スキンシップなどの習慣を書き出して、
先生方に見てもらい、アドバイスを頂くというシステムだった。
確かに人に者を教える立場の人が中途半端な生活をしているわけにはいかない。
私はもともと体が丈夫な方ではないので、食事や睡眠には人一倍気を使っていた。
食事はベジタリアン傾向だったので野菜中心。
調理についてもこれまで手作りをモットーにしてきたので
「結構、気を使って健康生活しています!」と自信たっぷりに書き出した。
料理は嫌いではないし、料理教室でマクロビを習ったので、ちょっと鼻が高く思っている部分もあった。
しかし、先生から返ってきたメールには信じられないほどの粗が指摘されていた。
「朝の食事が重過ぎます」
「朝からホットケーキは見直しましょう」
「カレーやスパゲッティなどの単品メニューが多く、彩りが少ない」
「夕食が遅すぎます」
「寝るのが遅すぎます」
また、フィードバックはこんな感じで行われた:
先生「天丼と書いてあるけど、これは出前?それとも、コンビニで買ったもの?ちゃんと作ってる?」
私「一応、手作りではあるんですが・・・」
先生「だったら、一品で終わらせないで。スープやサラダをつけましょう。」
私「・・・そういえば、時間がなくて・・・」
先生「その割には帰宅後のテレビ2時間は多いような気もしますが・・・」
今思えば、先生のフィードバックはKotodama Workそのものだった。
私の足りない部分をどんどん削り、何がその背景にあるのかを浮き彫りにしていく。
確かに、こんな風に指導されれば、否が応でも体質改善が出来てしまいそうだ。
カウンセリングのスキルが違うのだろうか、しまいには自分に必要なことを自分で勝手に考えてしまうようになった。
今まで「健康的」な生活をしてきたと思っていたのに、思った以上に破天荒だったのだ。
そういえば、生活全般にわたって指導された経験なんて私にはなく、
ヨガならヨガの運動だけ、食事ならレシピと調理法だけをやってきただけだった。
献立を見ただけで、「手作りの食卓が見えない」という冨美江先生の千里眼に、
今まで、手作りしているだけで安心しきっていた自分に気づいた。
本を読んだり、教室に通って学んだだけで、やっている気になって、
しっかりした習慣になっていなかったことに『ギクッ』とした。
「こんないい加減さで、私は人に『健康』とか、
『美』とかについて教えたいと本気で思っていたんだろうか?」
そう、私は言葉に詰まってしまったのだ。
そして、どれもこれもが実際は当たっていたのだ。
冨美江先生からはメールで以下のようにアドバイスをもらった。
「今の食事や運動量などの生活のままで合宿にご参加になった場合、
いきなり生活スタイルをデトックス型にすることで、好転反応という、
排毒反応が強く出すぎてしまうこともあります。
場合によっては、前半を殆ど寝て過ごすということになりかねませんよ。 」
気合の入る一言だった。
確かにサロンでヨガを行ったり、自分に向き合ったりすることで、好転反応が出すぎてしまうのはまずい。
せっかく参加するのだから、充実したものにしたい。
私はメールで送られてきたハーブヨガの教科書にあわせて生活を変化させ始めた。
具体的な改善のアドバイスだけではなく、
「どうやったら自分の生活リズムに合わせて、デトックスが出来るのか」
を自分の頭で考えさせるワークなども行い、理解を深めていった。
プレ講座に参加するだけでも、
「自分が今までやってきたことって何だったんだろう?」
と、自分の分厚くなった殻を少しずつ壊している。まさしく、目から鱗の体験が何度も起きていた。
資格取得を考えている場合は、姿勢美法だけはきっちりと行ってくださいとのことだったので、
教科書でもある書籍を注文して、ハーブヨガのホームページのWEBビデオを見ながらエクササイズを行う。
最初はビデオの中の冨美江先生みたいに脱力が出来ず苦労したけれど、
1週間後には瞬時に脱力できる体になれた。どうやらメソッドも自分にあっているような気がして嬉しかった。
バンコクへ出発
そして、月日は流れ、ついに日本を発つときがきた。
朝10:40分に成田を発ち、15:00ぐらいにはタイ、バンコクのスナンナブーム空港に着くとのこと。
フライト中はわくわく半分、不安半分だったけれど、
「ついに、行くんだ」と、自分の美クエストが本格的に始まっているのを感じていた。
これは今まで自分のわがままで大きな旅行や休暇を貰ったことがなかったので、
こうやって一人で海外旅行するのは自分にとって初めての冒険といってもよかった。
ただ、タイに行くのは二回目だったし、観光地も多くて好きな国なので不安はなかった。
飛行機の中の他の旅行者たちの浮かれ顔を見ていると、何だかこちらまで嬉しい気分になってきて、「日本人がこんだけ行くんだから大丈夫だろう」とタカをくくることにした。
冨美江先生から事前にバンコクには日本人が数万人住んでいて、サロンがある場所は特に安全だと聞いていたので、それほど心配はしていなかったけれど・・・。
スワンナブーム空港はタイの旅行者数千万人を受け入れる空の玄関口。
国の顔なだけあって、近代的なつくりになっている。
多種多様な人種に混じって入国受付を終え、いざ、公共のタクシーでサロンへと向かう。
タイ語で書かれたサロンまでの地図を渡されていたので、
一応はその目的地まで行けるらしい。
場所が分からなくなった時には日本の携帯電話で会話が出来ると聞いていたので、安心している部分もあった。
猛烈にスピードを上げていくビビッドピンクのタクシーは空港のある郊外を抜けて、ビルの立ち並ぶ都市部に入る。
流石は一国の首都だ。
運転手はサロンのあるトンロー通りに入り、思ったよりもすんなりサロンの前に着いた。
よかった~。
メーターは220Bぐらい。
それに空港使用料の50Bを足して、270Bが料金だった。(訳1000円程度)
無事に着いてよかった。
タイ語の地図があって助かった~。
私がわさわさと荷物を降ろしていると、宗先生二人が出迎えてくれた。
二人とも会うのは初めてだったけれど、
何度も何度もメールでフィードバックしてもらっていたので他人という気がしなかった。
ただし、第一印象としては、資料のような「辛口」な感じはしなくて、
人当たりが良さそうな人でよかったーと安堵した。
サロンは瀟洒なタウンハウス群の中にある。
縦に5階建ての建物で、クラスを行う教室は3階と4階にある。
アットホームだけれど、日本の建築とは造りが違って開放感があるし、かなり広い。
作りもお洒落なので、道場というよりはやっぱり、サロンといった雰囲気だ。
【合宿の一日】
合宿生活はこんな感じだ。朝は6時ぐらいに起床。
私の場合は先輩の方が姿勢美法を教えてくれて、朝からメソッドを習得した。
その際には健太郎先生や冨美江先生が現れて、
ちょっとしたアドバイスを頂けることもある。
これ以外にもKotodama Workを行ったり、
朝の散歩に出てビジョンを見つけたり、
色々なことを行える自由時間になっている。
その後は朝食だ。
サロンで指導している玄米粥と野菜・フルーツ・豆乳のミックスジュース(スムージー)を食べる。
玄米粥はストウブの鍋に既に炊いてある玄米を入れて、20分ほど煮込んで完成。
その際に野菜や作り置きのキンピラゴボウなどを入れていた。
ミックスジュースは生野菜とフルーツと豆乳をミキサーで回したもの。
自然な甘さでとても美味しい。
私の場合、朝はあんまり食べられないので、
お粥とジュースというのは非常にありがたかった。
午前中のクラスが終わると、次は昼食の時間だ。
参加者はキッチンのある1階に集まって、その日の献立を作る。
昼食のメニューは原則としてベジタリアン料理。
基本的には玄米、盛りだくさんのサラダ、野菜のおかず、そして、スープものだ。
メニューを予め決めておいて、みんなで調理するのだ。
料理好きの私にはすごく楽しい経験だった。
マクロビオテック以外にも本当にいろんな種類の料理がある。
今まで一本調子の料理だったので、とてもいい刺激になった。
昼食後に今日のクラスのフィードバックが行われる。
疑問点などを話し合ったり、或いは、実際にクラスで指導した研修生に対して様々なアドバイスを行っていく。
最初は自分の意見が言えなかったけれど、どんどん仲良くなっていくので、
思ったことをちゃんと伝えることが当たり前になって行った。
午後は、食後の休憩を挟んで、それぞれの研修に入る。
ある人は姿勢美法とハーブヨガの練習を行ったり、
ある人は散歩に行ってビジョンを見る練習をしたり、
映画を見てKotodama Workを行ったり、ある人は寝ていたり(これも立派な研修)・・・。
この時間に持ち回りで決められる夕食当番の人は、夕食の食材を買出しに行く。
予めレシピを作って、予算の範囲で買出しにまで行くのだから実地で物凄く勉強になる。
それに外国のスーパーマーケットでの買い物はとても新鮮だった。
夕方6時半から食事なので、当番の人は前もってキッチンに入って作り始める。
夕食はお肉を使ってもいいので、さらにレパートリーが広がる。
食事のスタンスについて先生はこういった。
「ハーブヨガの食事のスタンスは「中庸」、「適当」、「いい加減」にあります。
今後、食事のカウンセリングをしていくにあたって、
お肉や魚や卵を扱い方を知らないとか、敵視するのは問題だからです。
マクロビオテックは基本的に病気の人のための食事ですし、
それ以前に、久司道夫先生なんかはマクロビは世界平和を求め、
霊性を高めるための食事と銘打っています。
それにハーブヨガでは朝・昼とデトックス系の食事になっていますから、
バランスが取れれば夕食は自由に決めてもいいんですよ。
歯の割合を見てもわかるように、人間は雑食性ですから、肉だって食べる生き物なんです。
大体、レシピよりも食卓の場や会話という方が長期的に見たら重要なんです。
お互いに関心がないような無言の食卓では、すぐに健康を害してしまいますよね」
なるほど、食事についても人間関係のバランスを保っていったり、遊びの要素を入れていくのか~。
今まで、食事といえばレシピや調理法しか知らなかった私にとって、これは大きな発見だった。
でも、確かに栄養に拘りすぎることなんかよりも、笑顔で食べられているかのほうが重要だと思う。
それに、マクロビを習って以来、肉や魚を食べるのが億劫になっていたけれど、背景に何があるのか考えたこともなかった。
ただただ動物性食品を毛嫌いしているのは浅はかな考え方だったのかもしれない。
夕食後は自由な時間が用意されている。参加者によっては買い物に行ったり、
或いは本を読んだり、マッサージに行ってみたりと好きなことを行う。
また、場合によってはCoffee Shopプログラムが開講される。
このプログラムはとても面白いもので、それぞれの参加者が自分の内側を発表する時間になっている。
詩や歌や踊りや、会話や、何でもいいんだけれど、とにかく吐き出すというプログラムだ。
参加者しだいで不定期に開講されるけれど、
主催者、つまり、パフォーマンスする人はお茶やコーヒーを入れて、それを一人10Bで他の参加者に売る。
そのことで、おもてなしの心を磨いていく。
その後、夜の10時半~11時までの間に就寝。
私の場合は就寝前まで他の参加者と色んなことを話したり、聞いたりしたのが大きな刺激になった。
サロンの周りは繁華街ではないし、大通りからも離れているので、夜はぐっすりと眠れるのも良かった。
【ハーブヨガ&姿勢美法&Kotodama Work】
初めてハーブヨガを体験した時には、ハーブの温熱と香りが気持ちよくってとろけそうだった。
これまで一度も味わったことのないヨガだ。
このヨガを日本の人に紹介すれば、きっと受ける!と私は確信した。
動きも難しくないし、アシュタンガヨガみたいにパワーを使うこともない。
ある程度の柔軟性があれば、無理をすることが殆どないヨガなのだ。
そして、もっと驚いたのが姿勢美法だ。
姿勢美法は30分ぐらいのクラスになっているけれど、恐ろしく濃密なのだ。
特に初回だったので、写真とビデオを撮影してもらって、自分の姿勢をつぶさに分析してもらった。
「かなり反り腰ですね。膝の裏がぴんと張りすぎています。」
姿勢美法は日本でもやっていたから、反り腰がどんな姿勢だかは知っていたし、
心理的に見ても自分にそういう傾向がありそうだなぁとは感づいていた。
しかし、写真で見たり、映像で見たりすると、自分の姿勢の歪みが「これでもか」と迫ってくる。
確かに、ここまで反り腰だと、及び腰になっていて決定を先送りする傾向があるって言われても仕方ない・・・。
姿勢美法を一回行った後では反り腰が解消されてしまい、驚いてしまった。
Kotodama Workについてはプレ講座から必死に行っていたので、
思った以上にすらすら書けることに気がついた。
食事の内容や嬉しかったこと、子供のときの思い出等、自分の親との関係などなど、
書くこと自体は苦ではなくなっているのに気づいた。
1ヶ月前までは「あなたの長所??何だっけ?」と自分について何も知らなかったのに、
今では一応はちゃんと書けているのだから、自分が身につけた習慣の力に感心してしまった。
【夢や白昼夢の解析】
そして、一番、興味があったのがビジョンや夢を解析する作業だった。
主として、火曜日にこのセッションが行われると聞いていた。
しかし、夢やビジョンを解析するのはハーブヨガにとっては「日常」の一部。
「夢とか、白昼夢に期待せず、その世界を楽しむこと。これが第一歩ですね。
習慣に出来ない夢占いと一緒にしてはいけません」
健太郎先生が何か難解なことを言ったような気がするが、
要は、日常生活から夢や白昼夢に向き合えということなのだろうか?
何か魔法のようなものを期待していた私は、
「じゃ、どうやって向き合えばいいの?」と目を白黒させることになる。
「そこで、皆さんに講座期間中、
書いていただくこの習慣力育成ノートに「夢・白昼夢」のページを設けています。
こちらにその日に見た夢やふっと浮かんだアイデアを書き出してください。
散歩中に浮かんだものでも、何でも結構です。正解なんてありませんよ」
そういって、健太郎先生から『習慣力育成ノート』が配られた。
私の場合はとりあえず3週間参加するので3週分となる。
中には食事や時間管理、運動、睡眠、そして日常的なKotodama Work等がパックになって納められている。
夢や白昼夢についても書き込む場所があって、思い立った瞬間に書き込むことができるのですごく便利だった。
しかし、中々、解決できない問題が起きた。
「あれ?今日見た夢、なんだっけ?」
私の場合、いきなり夢を書き込むなんてことをしようとしても、中々出来なかった。
講座案内の資料で夢の大切さについては十分に理解しているつもりだったのに、夢を思い出すことができないのだ。
理由は二度寝してしまうことや、そもそも、今まで夢なんかに関心を払ったことがないことも挙げられる。
夢なんていうのは記憶の断片で深い意味なんかないと思っていたのだ。
勿論、フロイドやユングといった精神医学者の話は知っていたけれど、
それはあくまで精神疾患のためにあると思っていたのだ。
「エリコさんは夢を見るための柔軟性が低いですね。もっと現実世界でストレッチして見ましょう。
午後は散歩をして、どんな白昼夢が見えたかを書き込んでください。
どういった場所で、どんな感覚を覚えただけでもいいですよ。」
中々夢を覚えていられない私に先生は街歩きを勧めてくれた。
バンコクの街、特にサロンのあるトンロー地区は歩道も整備されていて、比較的歩きやすい場所だった。
私はトンローの通りを闊歩したり疲れたら、行きかう人々を眺めたりしながら、熱い空気の壁を通り抜けていた。
あるお店の前を通ったとき、私にフッと、子供のときの記憶が蘇ってきた。
「確かあれは・・・」
それは小学生時代の教室で仲良く遊んだ3人組の顔だった。
彼女たちとは今では何の接点もなくなっていたから、
「何でいまさら」とその白昼夢の意味が分からなかった。
それでも近くのカフェに入り、ノートに書き留めた。
名前はまだ覚えていたけれど、今はどうなったか分からない彼女たち。
私たちはいつも三人で一緒に登下校したりして、遊んでいたなぁと思い出した。
そういった友人関係が今ではすっかりなくなっていて、どちらかというと仕事に埋没しているのが自分だった。
よくよく考えれば、あの三人組でいる時が一番面白かったような気もする。
まだ、小学4年生ぐらいだったし、自由気ままに遊んでいられたからだ。
「自由気ままに・・・か」
そう、今ではもう自由気ままになんて言っていられなくなっている。
お仕事もあるし、(結婚をそれとなく促してくる)親との関係もあるし・・・。
「あのころはよかったなぁ」なんて年寄り臭い言葉が喉まで出掛かっていた。
私は一連の思索を書き込むと、先生たちに報告をした。
先生「そうですか。もう、今じゃ自由じゃないって感じてるんですね。
子供のときの記憶は何かの象徴でしょうけれど、今回の場合は『自由だった時代』の象徴なんですね」
私「はい・・・。今じゃ日常生活の中にやらなきゃいけないことが多すぎて、溺れているような感じがあるんです」
先生「ちょっと、待ってください。エリコさんの『やらなきゃいけないこと』って、本当にやらなきゃいけないんですか?」
私「え・・・」先生「その『やらなきゃいけないこと』を必死にやっているのに、
どうして溺れるような感覚になるんでしょうね。充実しててもおかしくないのに。
ひょっとして、エリコさんの『やらなきゃいけないこと』は『やりたいこと』とちょっと違うんでしょうか?」
突然の問いだった。
しかし、確かに、自分にとって、「やりたいこと」は別にあった。
いつかは、人の笑顔を見られる仕事をしたい・・・。
人の健康とか、人生の質を高められる仕事をしたい・・・。
それについては『死ぬまでにやりたいこと』というKotodama Workで考えてもいた。
だけど、どう動いていいかは分からなかった。
先生「自由かどうか、に拘るのではなくて、自分の楽しいと思うことに拘ってみましょう。
せっかく、タイに来たんですから、自分自身が楽しいと納得できるものを探してみたらどうでしょうか?
楽しいことから逃げちゃ駄目ですよ。
確かにそれは楽チンですけど、結局、何もできない状態、怠惰になるだけです」
この時は先生の言葉の意味は半分ぐらいしか理解できていなかったように思う。
「そうか、楽しいことを探してみよう」程度にしか・・・。
だけど、それはもう既に決まっている気がした。
自分にとって楽しいのはヨガを行ったり、心や体のチャネルを開いたりするなど、
どちらかというと内向きのものだと思っていたのだ。
しかし、その思い込みを変えてしまう事件が起きた。
【笑い】
ハーブヨガの講座の面白さは色んな要素が錯綜するところにある。
笑いについての講座なんて自分で言うのもなんだけど、精神性とどう関係するのかが分からなかった。
テレビでバカ騒ぎする芸能人に辟易している部分もあったし、
それ以上に、私自身が人を笑わせたりするのが苦手だったからだ。
しかし、そんな私が今、目の前で出されている課題はというと・・・。
「それじゃ、エリコさん、今まで自分があった中で、
一番変わってる人について面白く話してください!」
これだ。これが課題なのだ。私は緊張で鼓動が聞こえてきそうになって、
消え入りそうな声で「ごめんなさい、思い浮かびませんでした」と白旗を揚げたい気持ちで一杯になっていた。
それぐらい人前で話すのが苦手だし、しかも、笑いを取るなんて不可能だ。
クラスでは先生がユーモアの大切さを力説する。
確かに、笑うことによって人は何倍も大きくなれる。
それは分かっているんだけど、自分がいざ笑わせようとなると上手く行かないのではないかと不安になる。
初っ端から緊張と焦りで困っている私達を見て先生はこんなことを言った。
「柔らかい体を持っている人はヨガのアーサナを苦もなく出来ますよね。
だけど、やわらかい心を持っている人は人を笑わせることが出来るんです。
体がいくら柔らかくても、心ががちがちじゃ話になりませんよね。
心の中にある出せるものを出してみましょう」
先生のこの言葉には「はぁ~」っとため息が漏れるような感銘をを受けた。
そうだ。私の心はそれぐらい頑なだったのだ。
いつからか「馬鹿にされたくない」「賢いと思われたい」そんな気持ちで毎日を過ごしてきたからか、
心まで硬くなっていたのだ。
このままじゃ駄目だと思って、タイまで来たのに結局、同じじゃつまらない。
そして、気づいたら、非常に自然な形で私も発表が出来るようになっていた。
勿論、いきなりどっかんどっかん笑わせることは出来ないけれど、
それでも小笑いぐらいなら・・・と謙虚な気持ちで頑張った。
私は自分の内側にある馬鹿なものを、とりあえず、出してみよう。
そう思うようになった。
他の参加者にしても、真面目そうな58歳の女性は表情豊かに話し出すし、
普段は冗談のひとつも言わないように見える方の番になって、
大丈夫なのかなと人事ながらも私の心配をよそに、
本当にリラックスした様子でクラスに参加していて、サラッと発表してどっかんと受けていた。
別に面白いことを言おうと無理するのではなくて、自然に出てくる感じなのだ。
これが場のビジョンに感応するって言うことなんだろうか。
私達は教室という場に乗せられて、自分自身の内側をどんどん開放して行った。
感応し始めた私達は熱い塊になって、クラスの中に溶け込んでいった。何ともいえない一体感があった。
「それじゃ、エリコさん、
今から『能天気なアメリカ人』になって、
『おつりが足りないこと』をアピールしてください!」
先生から次の課題が出される。
「能天気なアメリカ人」ってどんなのだろう?
何ていえばいいんだろう?
皆の視線が私に注がれる。
私はつばを飲み込んだ。
「オーウ!オツリガタリナイヤンケ、目玉カッポジッテ数エヤガレ」
最後の方は声が裏返ってしまったけれど、一応、伝えることが出来た。
顔に血液が一気にいく。「自分は何を喋ってるんだ~」と自責の念に駆られる。
確実に滑ったなという確信だけはあった。
アハハハハハハハ!
しかし、皆、開口一番に大笑いをしてくれている。
皆、笑い上戸なのかって言うぐらいに大声で。
「いや~、さすがエリコさん。もはや憑依ですね」
健太郎先生がめちゃくちゃな関心の仕方で頷いている。
「エリコさんは話し方も上手いし、センスがあるんじゃないですか。
これからも出し切っていきましょう」
先生方は場をまとめ、誰にでもユーモアの力があることを教えてくれた。
それはいわば『こだわりを放す力』。
今まで自分が拘っていたものや掴んでいたものを客観化して、その価値を知ろうとする力だ。
私はお笑いというものをどうしても『低次元』だと思っていたけれど、
それはきっと、自分に取れないブドウはすっぱいって言った
イソップ童話の狐と同じように、
負け惜しみを言っているだけだったんだと気づいた。
そういえば、
資料に出てきたハーブヨガの神様は「お前たちはもう与えられている」
と言っていたけれど、こういうことを指していたのかもしれない。
テクニックとか知識じゃなくて、まずは笑わせてみたいと思うこと、
自分の殻を破りたいと思うことで道が開けるのかもしれない。
笑いのクラスを通じて、
それまでは
「何でもかんでも深刻に眉間にしわを寄せて考えれば「許してもらえる」と思っていた自分」
がいたことを反省することになった。
先生は
「私たちは精神とか、病気とか、チャクラとか、セックスレスとか、深刻な問題ほど笑って入るんです。
深刻な問題は深刻な顔で話さなきゃいけないなんて、そんなルールはありませんよ。
深刻な顔をして『困った、困った』と言っているだけの人たちは、実
際には問題の解決に向き合わず、
『暇つぶし』をして時間の過ぎるのを待っているだけなんです。」
と言っていたけれど、私もそういったしたり顔の人物の一人だったようだ。
笑い飛ばしてはいるけれど、その裏には人への優しさ、厳しさと言うものを包み込んでいるんだなと思った。
【Field Quest】
ハーブヨガと姿勢美法、食事法、夢や白昼夢の解析を日常的に行い、
もはやそれが習慣になってきた私。
ハーブヨガに来て、1週目最後の土曜日、ついに、初めてのフィールドクエストに参加した。
フィールドクエストと言うのは土地を通じて、
自分に映ったビジョンを見るという取り組みだ。
しっかりとデトックスが出来ていないと見えないこともあるらしいので、
この1週間入念に取り組んできたのはこのためだったのだ。
さて、どこに行こうか。
前回の散歩は1時間だけだったけれど、今度は何時間使ってもよいことになっている。
バンコクの街や海辺の町を散策して、自分だけのビジョンを見つける小旅行がこのプログラムだ。
参加者は思い思いの場所を告げて、定刻にサロンに戻り、ノートを提出する形になっている。
普段から行きたい場所を目星をつけおいて、そこに行くのもいいし、
先生たちに方角を相談するモデルコースと言うのあるので、それに従うことも可能だ。
先生たちは中国の易で使う八卦を使って方角を見てくれる。
私の場合は、チャオプラヤ川の川辺で一日まったりするというのが性分にも合っていたので、今回はそこに決めた。
行き方をネットで調べておいたので、いざ出発。
先生に言われたとおりにバンコクの運河をボートで西へ西へと進み、
チャオプラヤ川まで目と鼻の先まですぐに行けた。
私の場合、そこから地図を頼りに歩き出し、いろいろなものを発見した。
1. プラスメン砦
大昔は使われていたものだろうか?白い要塞。
大砲の跡はあるけれど、今はモニュメントになっていて多くの旅行者が散歩に来ていた。
ここで要塞の周りを歩いていると、『踊る戦士たち』の白昼夢を見た。
タイのラーマキエンという伝統舞踊から来ているのだろうか、
それにしても何だか物悲しい雰囲気だったけれど。
2. 寺院群
ワットポーやエメラルド寺院など色んな寺院が目白押し。
ビジョンをメモするなら観光地に行っても、別段構わないというのも嬉しい。
ただし、私の場合、ここでは人が多すぎるのか、ビジョンは見えなかった。
3.チャオプラヤ川
ひたすらでっかい川。ゆったりと流れているけれど、色んなボートが行き来する。
桟橋の上で大きな亀がゆっくりと泳いでいくような白昼夢を見る。
あまりに生々しいのでそれが本当に実在するような気になった。
4. ボート
渡し舟に乗って川の波を味わう。
数分間の乗船なので、酔うことはなかった。
昔、家族で伊豆に旅行に行ったときの事を思い出した。
その時も船に乗ろうとしたのだが、風でさんざん待たされたげく結局乗れなかった。
5. 散歩
霊的に整備されていると先生は言っていたけれど、確かに、桟橋の周辺や寺院までの道を歩き回っているだけでも気分がいい。
何気ない通りでも見渡しがきいて、安全な感じがした。
散歩中に立ち寄ったカフェで人間観察していると、
大学時代の友人(少し、気になっていた男性)が歩いているような気がした。
きっと、私の心が彼を呼び出したんだと思う。
午後3時すぎぐらいに、いったん、カフェに入り、今日見たものをまとめる。
踊る戦士→大きな亀→伊豆旅行→大学時代の友人という順番で、最もリアルなのが亀だった。
ビジョンを解析するに当たって、一番、肝心なのが身体感と先生は言った。
私も一応、一週間頑張ってきたのだから、とにもかくにもやってみようとペンを走らせる。
私の内側に浮かんだ疑問符は以下のとおり。
その亀を見て、どう思ったのか?
どんな気分だったか?嬉しい?悲しい?怖い?
どんな感情が当てはまる?
気持ち悪くないのはどうして?
色は?音は?
昔、同じようなものを見たことは?
あなたにとって、亀とは?
その亀を通じて、何を思い出す?
映画?写真?人間?
質問には型があるけれど、自由に連想していき、私は一つのアイデアに気がつく。
亀って言うのは、私にとって魅力のある生き方だったってことだ。
私は子供のときに兄がペットショップで買ってきた亀をよく覚えている。
ちょっと何を考えているのか分からなかったけど、かわいくて、学校帰りによく餌を上げていた。
ボーっとしているのが魅力的というか、老賢者のようなイメージがあったのだ。
しかし、大きくなりすぎたので亀はペットショップに返されてしまった。
今じゃ理解できるけれど、親に相当怒ったのを覚えていた。
その亀が未だに生きていて、タイのチャオプラヤ川を泳いできたようなイメージだ。
これは私にまた悠々と生きなさいと言ってるのだろうか?
少々の苦難があっても、大丈夫ということだろうか?
そんな感じで、他のビジョンについても『それが今の私に何を教えてくれているのか』を考えていった。
第一回目のフィールドクエストを通じて、先生たちと解釈を一緒にして、総体として以下のようなことが分かった。
先生が言うには、得られたビジョンに『答え』とか、正しい解釈なんてものは存在しないのだそう。
ビジョンはそれを生きるか、生きないか、の二つしかないのだそうだ。
私の場合、せっかく得られたビジョンであっても、それを日本に帰ってからも生きられるのかと言うと、かなり微妙だった。
少なくともその時点では、自分のリズムと言うのがどこにあるのか、何なのか、さっぱり掴みあぐねていたから。
【姿勢美法・ハーブヨガ】
二週目に入ると、姿勢美法とハーブヨガもやっと板について実行できるようになる。
私たちにデトックスをもたらしてくれるハーブを蒸す香りがいとおしいぐらいになった。
ハーブヨガはハーブの調合法を学び、クラス前には自分たちでハーブを準備できるようになった。
ハーブボールの作り方や材料のレシピも教えてもらったので、これで日本に帰ってからも実行できそうなのが嬉しい。
希望者はバンコクのローカルマーケットまで行って、タイハーブの買い付けに行き、その後に調合法を学ぶことができる。
プライやカー等、見たことも聞いたこともないような種々のハーブを扱うのだから、何だか魔法使いになったような気がした。
姿勢美法では参加者同士で歪みを指摘したり、癖を観察したりと、
実地に基づいての指導が始まっていて、人間を観察する能力が一気に高まった気がしていた。
街を歩きながら人々を観察するワークでは、
「幸せそうに見える人」や「不幸せに見える人」を判断したり、
その理由を探ったりして、自分自身の観察眼が磨かれていくのを感じた。
自分の姿勢について、反り腰はだいぶ収まったけれど、今度は脱力が出来なくなったり、
色んな部位に少しずつ変化が現れ始めていた。
いや、これまでも自分の体をヨガを通じて観察していたつもりだったけれど、
結局、アーサナを行うことに集中しすぎていて、きちんと認識していなかったのだと思う。
一週目が過ぎると、朝の時間帯に早めに起きて、参加者同士で姿勢美法やヨガを行うことが出来るようになる。
他の参加者も指導者志望の方だったので、先生に指定されて講師役と生徒役を交互に行うことになった。
姿勢美法はエクササイズ自体は難しくないし、壁を使うから誰でも指導できる・・・。
その考えは甘いことに気づかされた。
「エリコさん、ちゃんと××さんのこと見て指導していました?」
早朝のクラス終了後、観察していた冨美江先生がずばりと本質的な質問をした。
言葉に詰まる私がそこにいた。
そう、私は単に姿勢美法のメソッドを実演していただけだったのだ。
自分が完璧にエクササイズを行うことに集中して、生徒のことなんか全く見ていなかったのだ。
「生徒がしっかり出来ていれば、先生は体をうごかさなくったっていいんですよ」
と、冨美江先生はいうではないか。確かに先生は生徒を指導するために存在する。
私は自分勝手に『踊り』を踊っていたようなもので、恥ずかしい気持ちになった。
この経験があってから、クラスで先生方がどのように指導しているか目を光らせるようになった。
体を動かす運動系のクラスであっても、自分の心理的な傾向が出てしまうって言うのが、
怖いと言うか、ものすごいシステムなんだなと感心した。
【性愛について】
ハーブヨガの講座の中で、一番異彩を放っているのがこの講座だと思う。
夢や白昼夢の解釈や、病に向き合うこと、或いは、笑いについて向き合うのも、これに比べたら異質だとは思えない。
だって、面と向かって男女の性愛について教わったこともないし、それほど真剣に考えてこなかったからだ。
「性愛と言っても緊張せずにリラックスして、笑いの精神で臨んでいきましょう。
こういったコンプレックスにかかわるような問題はついつい本気で考えてしまいがちですが、そんなんじゃ駄目ですよ。
肩の力を抜くのが大事。
性愛はセックスレスや不妊の問題とも大きくかかわっていますし、
実際に日本の大問題になっている重大な問題だからこそ、笑い飛ばすんです」
講座では自分自身の男性観・女性観を洗いなおしたり、
過去の恋愛に向き合って、どんなパートナーシップが素晴らしいと思うのか考えたりというKotodama Workを行っていった。
恋愛経験が少ない私だったけれど、先生曰く、『量より質』。
小学生のときの初恋でも何でも含んで、考えていった。
その過程で、困難な問いに何度も直面した。
例えば、『結婚はどうして必要なのか』とか、『子供はどうして欲しいのか』といった問いにまとにも答えられなかった。
結婚適齢期に入って、とっくに過ぎ去っているのに、
まだまだ自分は子供なのかもしれないと軽い自己嫌悪に陥りそうだった。
冨美江先生は、
「セックスも、子供も結婚もエゴなんですよ。打算があっていいんです。
自分を正直に見つめて、笑い飛ばしてみましょう。
答え辛いと思ってしまうのは、自分のエゴとの折り合いがまだついていないからなんですよね。
じゃ、健太郎先生はどんな打算が合ったのか教えてください」と、
ユーモアを交えて私たちをフォローしながら、心の奥深くに向かうことを応援してくれた。
最初は答え辛いものばかりだったけれど、それでも自分の内側から出てきたものや、新しい気づきになったのは、
- 相手に自分のことを知って欲しいという欲求が強い。だから、縛ってしまう。
- 本当は相手に自分の駄目なところを見て欲しい、許して欲しい。
- 恋愛を通じて女として一皮向けたい。例えば、言いたいことはちゃんと言えるようになる等
- 思った以上に男性を意識して生活していること
- 昔の交際相手のこと(特に悪い点)を時折思い出してしまうこと
- これまで男性との接し方を変えようと思ったり、向上させようとは思ってこなかったこと。
- 弱みを見せると負けな気もしていたこと。
- メリハリのない体にコンプレックスがあるので、どうしても性行為に奥手になってしまうこと。
- 何年も付き合った相手でも、話題に出すことさえはばかってしまうこと。
- 性愛を楽しむなんていうのは何だか低俗で、考えないほうが大人だと誤解していたこと
- 実際に多くのカップルがセックスレスが原因で別れている現状を知り、性というものを理解しなければ、健康の指導なんてできないということ
- どんな問題でも同じだけれど、苦手なものを見ないようにすれば解決するわけでもなく、見て見ぬ振りするだけ問題の根は深くなっていくこと。
といったことだった。私は思った以上に自分勝手な恋愛観をしていたのだ。
そして、セックスについて真正面から考え見たことで、自分のコンプレックスや今後の自分自身の人生設計について大きな示唆を得ることになった。
【Field Quest 第二回】
二回目のフィールドクエストは吉方でもある南の海に向かった。
バンコクの南のフアヒンという都市だ。
朝の7時に乗り合いバンに乗って、3時間半かけて到着した。
道路がいいのかあまり揺れず、思ったよりも寝ることができて良かった。
行きかたは事前に調べておいたし、先生たちにも聞いていたのでスムーズに到着した
。到着してからはトゥクトゥクで海に向かう。
当日のフアヒンの海は静かで、風も凪いでいた。
私は先生から紹介されたカフェに入ったり、砂浜のテラスでぼんやりしたりして時間の過ぎるのを楽しむ。
波の音が耳の奥まで入ってきて、色々な情景やビジョンを私に運んできてくれた。
得られたビジョン:
1. 貝殻
海の近くの屋台街で貝殻を発見。
150バーツと安くはないが記念に一袋を購入。
それを砂浜に並べたりして、子供のように遊んだ。
貝殻を耳に当てると、「コーッ」という音が聞こえる。
それを聞いているだけで、海にいつまでもいられるようなそんな気がした。
2. 遊ぶ子供たち
観光地なだけあって、ビーチには子連れの人たちが沢山いた。
性愛のクラスで結婚について考えたばかりだったので、
子供を見ると、「いつか私も・・・」と考えてしまうようになった。
遊ぶ子供たちを見ても、『うるさい』とか、
『邪魔』とかしか考えられなかったのに、今では愛おしいような存在になっている。
子供の高い声が波の合間に消えていくのが、
何だか子供時代の自分を思い出させてくれた。子供時代と言っても、父親のこと。
いまではすっかり優しくなったけれど、子供時代には怒りっぽくておっかない存在だった。
3.波打ち際
今日は日帰りで来たので、海に入るつもりはなかった。
公共のシャワーブースもあるけれど、すごくローカルなもので、
そんなに綺麗ではないと聞いていたからだ。
しかし、白いサラサラの砂浜を歩いていると、
波打ち際を抜けてくるぶしまでは浸かってみたいという衝動に襲われる。
『どうせサンダルで来たんだし、一応、タオルもあるんだから』
と海の誘惑に負けてしまい、ひんやりした海水を味わう。
波を蹴っていると、昔飼っていた犬がじゃれつくのを思い出した。
4.海
Let’s Seaというデッキのあるレストランで遅めの昼食を摂る。
周りはカップルや友人連れが多く、いい雰囲気。
遠くまで広がる青い海に涙腺が緩んでいくのを感じた。
アイスのカフェラテを飲みながら、海をぼんやり眺めていると、
小さな船が足元の海から出港していくようなそんなビジョンが見えた。
頼りないような雰囲気だけど、小さい船であっても、大きな海を渡っている。
5. 浜辺のクラゲ
浜辺にクラゲが打ち上げられていて、その漂っている姿に何か自分と似たようなものを感じた。
フワフワとしている自分の気持ちの投影だろうか。それとも別のものだろうか?
実はクラゲの姿を見て、今、自分の内側にいる『気になる人』のことを思い出したのだ。
今の段階ではあくまで「気になる」程度なのだが、そういえば彼といるとちょっとした気遣いが優しくて楽しい。
一緒に仕事をするときは、浮ついた気分になってしまうけれど、自分からご飯とかに誘うことなんてない。
私はコロニアル調のホテルのカフェテラスに座り、今日あったことを書き出して整理してみる。
観光に来たような感覚があったので、ひょっとしたら何も見えていなかったんじゃないかと思ってしまうけれど、以下のようなことが得られるのではないかと思った。
私はそういったことを書きながら、涙腺がじわじわ熱くなるのを感じた。
初めは何の感覚なのか分からなかったけれど、これがビジョン(=生き方)と向き合うっていうことなんだろうか。
辛いことばかり思い出すのではなくて、
「なるほど、こことここがつながっていたのか!」という発見の感覚。
信じられないぐらい、私は自分のことに関心がなかったので、いくらでも私についての謎が生まれてくるのだ。
夕方、4時ぐらいにバンに乗ってバンコクに帰る。帰り道は疲れていたのか、やっぱり眠ってしまった。
フィールドクエストについて、先生からは
『だいぶ、向き合い方が上手くなりましたね。
これならきっと、日本に帰ってもビジョン自体を見たり、考えたり、
そこからメッセージを得たりすることは可能でしょう。
だけど、一番、大事なのは、そういった習慣を形成することです。
そのためには、あなたは魂を共有するような友人や恋人を必要とするでしょうね。
何でも分け隔てなく話し合える人物を探し始める必要があります。
一人ではこの旅は完結しないんです。
そのオンリーワンを探して、高めあう旅はどんなヨガを極めるよりもエキサイティングで、険しくて、面白いんですよ』
との助言を頂いた。
【帰国後】
2週間を終えて、日本に帰った後、私は10年ぶりの引越しを行う。
今の職場に移ってから、同じ場所に住み続けていたのだ。
職場は変えていないけれど、何か心機一転したかったのだ。(それに偶然にもアパートの更新時期が重なっていたというのもある)
日本では友人を集めてハーブヨガと姿勢美法の指導をとりあえず始めてみた。
区の公民館を借りて、その実費やハーブ代などだけ実費の参加費だけ頂く形で始めた。
これまで友達相手にすらヨガを教えようと思ったことはなかったのに、大きな心境の変化だった。
これもビジョンで見た旅立つ船の影響が大きいのだろうか?
バンコクにいるときに、先生から『クラス計画』のワークを与えられて、
自分なりに1時間から1時間半のクラスを設計していたので、思ったりもすんなりとクラス開講までいけたのにはびっくり。
友人たちも「やりたい、やりた~い」と、ハーブヨガに興味しんしんで参加してくれて、
しかも実際に効果を少しずつでも感じてくれたのは驚きだった。
やっぱり、メソッドとしても効くのだろう。
指導法に関しては先生から指導法講座や習慣化法講座をもらっていたので、
そちらを聞いて、何度も講義ノートを作成した。
サロンにいる先生のように名人芸は出来ないかもしれないけれど、
自分は何かに向かっているようなそんな高揚感があった。
【最終週:1週間】
そして、数ヵ月後、私は再びタイに渡る。
ハーブヨガや姿勢美法を教えていて、沸いてきた疑問や合宿からずっと付け付けていた夢やビジョンのノートを持って。
【指導法】
最後の週ではヨガや姿勢美法の指導法をまずはマスターしたいと思っていた。
『自分が見せるのではなく、相手を見ること』
『自分にだけ集中しないこと・・・』
ハーブヨガの指導法は私が受けたどんなヨガクラスよりも、生徒と講師を大事にしていると思う。
最初に私が姿勢美法を復習がてらに教える。
冨美江先生からは
「日本でも教えていただけありますね。よく出来ていますよ」と褒めてもらって、ちょっと有頂天になる。
よかった~。頑張った甲斐があった!
それでも、実地の指導練習に入ると、ハーブヨガの講師の方からも絶妙なツッコミが入る。
やっぱり、まだまだ・・・といった感じ。
この週では腰痛のある人、関節痛のある人、妊婦さん等、様々な人にどう指導するかも学習した。
冨美江先生は
「アーサナのモディフィケーションこそがヨガなんですよ。
一人一人にヨガという山があるんです。
ポーズの『完成』なんてものは存在しないんです」
と話していたけれど、私の知っていたかつてのヨガクラスとは大違いだ。
そこではポーズの完成が受講の目的だった。
そのヨガ教室では上級者と初級者が一緒のクラスに参加していても、
初級者の人たちは居心地の悪そうな苦笑いをしながらクラスを受けていた。
先生はダンスの先生もしていて、柔軟性も筋力もばっちりの方だったから、ヨガのポージングはまるでダンスのように美しかった。
ただし、 クラスはちょっと殺伐としていて、
上級者たちも初級者に声をかけるとかいったこともなく、ちょっと内心、馬鹿にしていたように思える。
いや、私自身が柔軟性がない人のことを「かわいそう」と思っている節があったから、そう思うのだろうけれど・・・。
そのクラスでは、モディフィケーションというのは、
未熟な人や怪我をしている人のための効果が何割が割引されたものだと思っていたからだ。
「一人一人がヨガの山を登るか・・・。」
ハーブヨガでの体験を通じて、私自身のそういった思い込みや高慢さはガラガラと壊れ始めていた。
私はまだまだヨガを競技か何かだと思い込んでいたようだ。
昔から運動が得意ではない私だったけれど、体だけは柔軟だった。だから、ヨガを始めたというのもある。
「これなら、私にも出来そう」というのが段々、慢心になってしまったのだろうか。
「私たちは一人一人が人生の山登りをするお手伝いをするんです。
私たちが誰かの山の頂きにいて、引き上げることもないし、押し上げることもありません。
たま~に疲れている人を癒したり、或いは目的を見失って落胆している人を元気付けたりするのが目的です。
それこそが私自身の山を登ることになるんです」
冨美江先生はそういって笑うけれど、中々の覚悟がないとそこまで言えないなと思った。
私は指導者としてまだまだだけれど、一歩ずつ、登っていきたいと思う。
【病に茶を出す】
『病に茶を出す』というのはハーブヨガのハーブヨガのコンセプトだ。
先生は自分の息子さんの看病や自分自身の婦人科系の病気の例を挙げて、そのことを解説してくれた。
私の場合、これまで大きな病気をしたこともないし、家族も一応、健康体だと思っていた。
このクラスのワークで、家族の疾病の歴史を書き出すと言うものがあってやってみたところ、
よく思い出せば父親が具合を悪くしたのが一度だけあった。
私が大学受験に失敗して、予備校に通っていたときのことだ。
実は滑り止めの大学には受かっていたのだけれど、「どうしても」ということで、浪人させてもらった。
その時、あんまり父親と話すこともなく、
受験生として頑張らなきゃいけないことが山ほどあったので、
父親との関係はあまりよくなかった。
そんな中で、父親が目の奥の病気で手術し、1ヶ月間ほど、寝たきりになってしまった。
専業主婦だった母親が付きっ切りで介護していたようだけれど、どんな様子だったのか、実はあんまり覚えていない。
それぐらい、自分のことだけに一生懸命だったのだ。
幸いにも父親の健康は回復して、その後は普通に職場に戻れたけれど、
あの病は何だったのか考えることは一度もなかった。
『昔は大変だったね・・・』と、のん気な言葉で労をねぎらって終わりになっている。
ひょっとしたら、父親すらもあんまり深く考えていなかったのではないだろうか。
健太郎先生は言う。
「病が起こること自体は悪いことではないんですよ。私たちは病の苦しみから学ぶことも多いですし、病があって始めて人生に向き合える人も多いんです。
もし、病を『邪魔なもの』として片付けてしまったら、今度は異常な行動や心の症状として表れるんです」
私は自分が父親の病に向き合ってこなかったことを今更ながらに反省した。
父親はあの時、私のわがままな浪人に何も言わなかったけれど、
本心ではがっかりしていたのだろうか、心配していたのだろうか。
今度、帰ってそれとなく話してみようと思う。
ハーブヨガでは体をいたわり、言葉や思いをかけながら、ヨガを行っていくセッションがある。
それが体内の気・血・水のバランスを改善してくれるのだ。
それも同じように病に茶を出すと言うことなのだろう。
まだまだ奥が深くて完全に理解しているとは言いがたいけれど、
病と友達になれそうだと思っただけでも大きな収穫があった。
【Field Quest 第三回】
最後のフィールドクエストのお題は場所の気を読むというものだ。
私はバンコクの暴動があったラチャプラソン交差点をその目的地に選んだ。
サロンからタクシーとBTSで15分。バンコクのど真ん中の場所だ。
周りには高いビルが立ち並び、ホテルやショッピングセンターに行く人々で賑わっていた。
1. エラワン廟
私はまずハイアットエラワンホテルの近くにあるエラワン廟に行ってみた。
あたりはタイ人の信者とそれを取り巻いて写真を撮る観光客でごった返している。
色とりどりのお供え物をする人やタイの伝統舞踊を奉納する人がいて、
やっぱり外国に来たんだなぁと言う気分になる。
むせ返るような線香にびっくりさせられる。
ここも賑わっているところで圧倒されたからか、
あんまりビジョンは得られなかった。
私の場合はにぎわっているところはビジョンを見るのに不利なのだろうか。
2.歩道橋
BTSチットロム駅とサイアム駅を結ぶ歩道橋の上から、
暴動とその激突があった現場を眺める。
今はもう平和で多くの車と歩行者で賑わっていて、当時の面影は全くない。
それにしてもこの大きな道路を埋め尽くすほど人が集まるなんて、
どういうことなんだろうと思ってしまう。
歩道橋からぼんやりと大通りを眺めていると、
大きなショッピングセンターの上から二つの雲が現れて絡まりあう白昼夢を見た。
昨年の暴動は赤シャツと黄シャツが戦ったと言うから、それが原因なんだろうか?
少し、気味が悪くなったので、私は場所を別に移した。
3.伊勢丹前のガネーシャ廟(プラピカネー)
バンコクにも伊勢丹があるというので行って見たけれど、かなり大きい建物。
その前にあるガネーシャ神の廟も神々しいのでびっくりしてしまう。
あたりには人がいっぱいいて、さすがに都市のど真ん中だ。
前もって調べておいたことによると、暴動で伊勢丹とつながっているショッピングセンターが火事になったとき、伊勢丹だけはかろうじて無事で、暴動後すぐに復旧したそうだ。
それも商売繁盛のガネーシャ神のおかげなんだろうか?
私はガネーシャ神の近くのベンチに座って、行きかう人々を見る。
ガネーシャ神は恋愛もつかさどるらしくて、カップルで来ている人たちも多く、少しさびしい気持ちになる。
その時、日本人の家族連れが伊勢丹に入っていくのを見る。
それが私の知っている人に見えた。昔の彼氏にそっくりだったのだ・・・。
もしやバンコクに来た?それ以前に結婚して子供まで?
まさかそんな筈もないと思い、もう一度、よく見たけれど、やっぱり別人・・・。
良かった~というか、なんと言うか、ほっとした自分がいた。
ふと、我に返って、この安堵は何なんだろうと考えると、
『昔の彼氏が結婚して、子供までいて、幸せになっている』というのが気に食わないんだろうなと思う。
彼は付き合っているときから子供に関心はなかったし、それなのに今では幸せそうにしているのが憎いのだろう。
他人の不幸を祈っているようで、私はとんでもなく利己的で情けない人間だと思うけれど、
そんな部分があるんだなぁと自己認識するようになった。
その後、先生たちと一緒に解釈を行い、全体として、ビジョンが何を教えてくれたかと言うと、
私がラチャプラソン交差点で得られたビジョンは結局、自分自身の恋愛と言う非常にプライベートなものだった。
勿論、場の気を感じることも出来たと思うけれど、それ以上に自分自身の過去との対話のほうが大きかった。
冨美江先生と相談すると、
「場の気、例えば、カップルが多いとかそういう要素に自分のチャネルが増幅されたんでしょうね。
普段は思わないようなことであっても、拡大されて感じたりするんですよ。それで結局、何が得られましたか?」
と、逆に質問される。
「う~ん、私自身、
『過去を払拭したくない』と思っている部分があるようだと思いました。
昔のほうが若くて優れているとか、思っちゃうんでしょうか。
情けない部分なんですね」
冨美江先生は、
「昔の自分も今の自分も繋がっているんですよ。
彼氏がいたとか、いないとか、所有することで優劣なんて決まらないはず。
ひょっとしたら、今でも人間関係に『私の彼』とか、そういう所有関係を見ているのかもしれませんね。
まぁ、これは単なる視点に過ぎないですが・・・」
と、アドバイスする。
これまでの恋愛遍歴のワークを見て、私はもう一度、その関係を探ってみると、確かに、当たっている・・・。
過去にも私は男性を自分のもののように扱っている部分があった。
今、関係が少しずつ進展している会社の同僚においても、それは同じかもしれない。
でも、きっとそれじゃ駄目になる・・・。
「優しさ」とか、「男らしい」とか、「話を聞いてくれる」とか、そういった魅力を私のものだと勘違いするのは傲慢な話だ。
昔の私は自分に自信がなくて、私の中身が空っぽだと思っていたから、相手の何かで埋め合わせてもらおうと思ってしまうのだろう。
今はそうじゃないはず。
自分の見たいものを見にバンコクまでやってきて、色んな体験を通じて、自分が満たされていることを知った。
むしろ、誰かを満たしたいと思っているぐらいなのだから。
私は昔の彼を払拭することにした。
彼の幸せを祈ることにしたのだ。
【私の美クエスト:最後に】
最終週が終わり、私は岐路についた。
初めはドキドキしていたタクシーの荒っぽい運転にも今では少しは慣れた。
飛行場には色んな人種でごったがえしている。
大混雑している。
皆、思い思いの場所に旅に出るんだな。
成田行きの飛行機が少し遅れ、ターミナルで待ちぼうけを食らわされる。
その待ち時間に、タイ人の老夫婦が私に声をかけてきた。
一人でぼんやりしているように見えたのだろうか。
本当はビジョンを見ようと必死だったのだけれど・・・。
一人は日本語が片言ながら喋れるようで、
「観光ですか?」と聞かれ、なんと言っていいのかわからない顔をしてしまいそうになる。
少し間を置いて、「あ、観光です」と答える。
老夫婦は二言三言、言葉を交わしてその場を離れた。
あちゃ~、人生を変える体験をしたのに、観光なんて安易だったかなと反省する私。
でも、何て言ったら良いんだろう?
そう言えば、「光」を「観」るとかいて、観光と読む。
そういえば、冨美江先生がこんなことを言っていたのを思い出す。
「この死後世界地図っていう本によると、
生きている間は誰でも光を感じて、音を感じて、
味を感じてという風に、五感を使って生きていられるんですよ。
でも、死んだら、自分の執着だけが残って闇の中にとり残されるって言います。
まぁ、この本の真偽はともかく、生きているって言うのはそれだけ素晴らしいんですよ。
霊性にかかわらず、誰だって、五感を使って生きていけるんですから。
だったら、それをフル活用しないと勿体無いですよね」
そうか、私は光(ビジョン)を観に来たのだ。
だから、観光でもいいのかもしれない・・・。
まぁ、人生を変える観光だから、上手い言葉を考えなきゃいけないとは思うけれど。
う~ん、私の『美』を探しに来ましたじゃ・・・かっこつけすぎかな・・・。
さぁ、帰国だ。日本に帰ったら、
まずはもっともっとハーブヨガを広めたいし、
姿勢美法を通じて、体の感度を高めることの面白さを伝えたい。
とても3週間だけ全てをマスターできたわけじゃないけれど、
メソッドもしっかり身についたし、自分の人生に大きな、とても大きな示唆を与えられた。
私は私の人生の山を登ろうと思う。
私のビジョンを見つけて、それを誰かと共有できるようになろう。
気づきを与える人生を生きるために、ビジョンをもっと鍛えよう。
今、思えば、ハーブヨガに出会った瞬間から、私の「美しさ」を探す旅は始まっていたのだ。
ハーブヨガのサロンで学んだ期間はわずか3週間だったけれど、本当に大きなものをもらった。
それは答えではなく、問い。
「自分の人生に恋をするために、今、私はどうしたいのか?」
その問いかけを大事にして、これからの人生を美しいものにしていきたい。

国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。