Seeding瞑想のビジョンと日常での実践法
ハーブヨガクラスの最後にはSeeding瞑想を行います。これにはどんな意味があるのかを30秒程度考えてみましょう。
Seeding瞑想は自分の潜在意識に気づきを植える付ける習慣です。
坐法までの習慣で得られた気づきを潜在意識に埋め込んでいくプロセスがこの瞑想法なのです。
Seeding瞑想はハーブヨガのセッションの中だけで行われるものではなくて、日常的に行う習慣でもあります。
実際にはどういう風にしてSeedingするかというと、一日の終わりにその日の気付きについてノートを毎晩書くというような習慣がSeedingになります。
あなたが潜在意識に埋め込みたいこと、例えば、毎日の何か発見、或いは疑問でもいいので、眠る前に書き記しておくことはとても大きな意味があります。
なぜこういう現象に出会っているんだろう、この出来事にはどんな意味があるんだろうという疑問文でOKです。
そうすると朝起きた時や、日常の何気ない瞬間にその答えはこれじゃないかと、ふっとわかってくることが一杯あります。
あるいは何日か経ってから、その答えが降ってくるような感覚が起きます。
「馬鹿の考え休むに似たり」といいますけれど、一人でウンウン唸っているよりは潜在意識に任せたほうが効率がいいと言えるのです。
この体験をするためにもSeedingを習慣にしてほしいと思います。
Seedingの瞑想では三つの質問を体に問いかけます。
- 「今日、新しく発見できたこと」
- 「今日、以前よりもっと上手く出来たこと」
- 「今日、殻を破れたこと」
これらの3つですね。
これらの一つだけについてでも構いません。
何か思い立ったことを書くだけでも意味があります。
あるいは気づき以前の質問だけでも十分です。
例えば、日記に
「今日、私が発見できたことは何だっけ?」
「発展できたことは何だっけ?」
「殻を破れたことは何だっけ」と書き記すだけです。
殻を破れたというのはあなたが変化させられたこと、自分の中の悪い習慣を断ち切ることできたとか脱皮したなと考えられることです。
そういったことはなんだろうと疑問文だけでいいので書いて下さい。
これこそが潜在意識と対話していくという習慣です。
瞑想にプラスαする理由
このようにSeeding瞑想だけでも潜在意識と対話できるのですから、これだけで十分ではないかと疑問を持つ人もいるかもしれません。
そもそも、瞑想をするだけでも心が十分に軽くなると言う方も沢山いらっしゃいますし、私達も瞑想を実践していますので瞑想の習慣は確かに大事だと思います。
じゃあ、なぜ、ハーブヨガではSeeding瞑想以外に4つも面倒くさいステップをしなければならないのでしょうか?
以下ではその理由を考えてみましょう。
瞑想は確かに素晴らしい習慣です。
しかし、その習慣を完成させる為に前段階として姿勢だったり呼吸だったり感情だったり感覚だったり言葉だったりという、色んな側面の感受性を磨く習慣っていうのが結局は必要になると私たちは考えています。
そのため、Seeding瞑想のような習慣だけでは不十分なのです。
瞑想の指導をして私たちが痛感したことは、多くの人は瞑想中に敏感になった感覚をコントロールすることができないのです。
瞑想中は特に感覚や記憶力が敏感になりますが、瞑想をすることによってネガティブなものばかりを思い出したり、感じたりするということもあるのです。
前の章でも説明しましたが、潜在意識の声の殆どは怒りや恐怖が元になっています。
それを認め、「全てのものに対して中立にハーブである」という姿勢が徹底されていないと、私達の本来持っている潜在意識の声に圧倒されてしまうのです。
そして、何のために瞑想をするのかという部分がズレてしまうと、目的を達成できないということでもあります。
現代人の場合、瞑想の目的がエゴのためだけで終わってしまうことが多いように見受けられます。
例えばそれはストレスを解消するという癒しのために瞑想をしようとか、または成功者がアイデアを出すため等の能力開発のために瞑想をしようとかいう場合がそれに当たります。
これらが間違っているわけではありませんが、それだけでは殆どの人は瞑想を活かすことはできないでしょう。
自分のためだけに癒やしの瞑想や能力開発の瞑想ができるほど、強い軸を持っている人は多くはありません。
自分を瞑想を通じて癒せたのは、瞑想を始める前から自分を癒す筋肉が鍛えられていた人です。
そして、自分の能力を瞑想を通じて開発できるのは、瞑想を始める前から自分の能力を開発するための筋肉を鍛えていた人なのです。
しかし、これは多くの場合、先天的なホロスコープなどによるもので、個人のチカラではいかんともしがたいものがあります。
では、私たち一般人はどうすればいいのでしょうか?
自分自身のためのではなく、世界の中にいる私を意識してこそ瞑想の安定は成り立ちます。
それはこの書籍の初めのほうで書いていた社会的な構造、つまり、私達は他者から幾重にも干渉されているという構造があるからです。
私たちは自然の中に存在していて、人と人とがつながっている社会構造の中にいて、家族のようにより密な人間関係があって自分がいるという構造の中で瞑想をしています。
この構造をしっかりと意識し、それがもたらす内的な混乱、砂嵐をしっかりと自覚しなければ、あなたの瞑想も社会的な構造の持つ観想に引きずられてしまいます。
例えば、私たちが存在している社会の中で日常的に感じている悩み、例えば「なんで私は人間関係がうまく構築できないのだろう」、「どうして、あんなに酷いことを言ってしまったのだろう」というような後悔や罪悪感が増幅してしまうのです。
その結果、瞑想中は自分を責めているだけの状態になってしまうのです。
或いは瞑想に上手く入れないと、「瞑想もできないなんて、私はなんてダメな人間なんだろう」というふうに、瞑想を通じて自分を何度も何度も責め続けてしまう人もいます。
これでは結局、習慣的に自分を攻撃しているだけですから何のプラスにもならないと思います。
あなたはほとんど存在しない
「ダメな私はどこから来ているのか」というと、95%以上は他人から来ているということです。
だからこそ、私の内側に砂嵐を巻き起こしている存在というものをしっかりと自覚することが先決なのです。
例えば、あなたは他人の呼吸の荒さに感応して集中できないのかもしれない、他人の言葉の荒さに感応して心を痛めているのかもしれない。
あなたがあなただけの痛みだと思っているものすら、実は他人の苦悩の影なのかもしれないのです。
こう考えていくと、何度も書いていますが、自分なんてものはほとんど存在しないのです。
これが仏教で言う空(くう)ということです。この空という考えかたは、この世界は関係性で成り立っているという真理なんですね。
この関係性を表しているのがこの図です。
私たちは自然、社会、人間関係、自己と95%以上を他人と共有している波の中でいきていますので、まずは他人と何を共有しているんだろうという視点を考えないと自分というものはわからなくなります。
或いは、わかったと思ったところで、それは他人と比較して得られた自画像でしかないのです。
その自画像というのは常に不足感を抱え、不満足な顔をしていて、「私は本当にだめな人間だ」「私はひどい人間だ」と言っているだけになります。
「その現実を変えるためには?」
「このひどい自分という人物を癒やすには?」
それは外側に働きかけるしかありません。
周りの人を癒し、元気にするしかないのです。
あなたの砂嵐の原因になっている言葉の荒さや呼吸の荒さの背景にある、あなたの周りの人達を癒やすことから始めるしかありません。
あなただけを癒やそうとしても、あなたの内側に他者がいるのですから。
あなた自身の歴史を知ること、地球や世界の状態を知ること、その全てが自分を癒すことにつながってくるのです。
私たちも一人の人が健康になることを応援していたのですが、1人でメソッドを実践するだけでは大きな壁があることに気づいたのです。
いくらヨガをしても瞑想をしても本当の意味でそれが完成するのは、結局は外側に働きかけた時なのではないだろうかと、私たちは考えています。
人間は社会的な動物ですから、社会とのバランスをとることでしか呼吸も整わなければ、感情も整わないということを実感しているからです。
瞑想とは潜在意識と対話することだけが目的ではないのです。
瞑想を通じて潜在意識と対話し、その結果、あなたが人生の主役として何がしたいのかを見つけることが目的なのです。
ハーブヨガの実践者にとって、潜在意識と対話する目的は一つしかありません。
それは私達が人生を主役として生きることです。そのために瞑想を行うのです。
クラスで最後に行なうSeedingというのは1分間しか行いませんが、その前の69分もしっかり大事に実践して下さい。
それができるからこそ、Seeding瞑想は最大限の効力を発揮するのです。
国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。
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