
私たちのバンコクのサロンが10年の歴史に幕を閉じることになり
これまでバンコクのサロンに触れあってくださった方たちにまずは 感謝をお伝えします。
本当にありがとうございました。
まずは、
2008年にタイのバンコク郊外から憧れの街バンコクのトンロー に自宅サロンを開きました。

目的は、 体質改善をホリスティックに行うことのできるサロンを開くためで した。
その直前まで私たちは夫の健太郎さんの研究留学のために生後4ヶ 月の息子を連れてタイのAITという大学院のキャンパスに住んで いました。
そのころ、一家で月10万円以上も医療費に出費するほど、 私も健太郎さんも息子も虚弱体質だったのです。
私の場合、ものもらい、口内炎、指先の傷の化膿、 口唇ヘルペスなどなど、 常に体のどこかが炎症を起こしてはお医者さんに通うことが常態化 していました。
その上、冷え性や下半身のだるさに常に悩まされていました。
健太郎さんの場合、年に二回程度、 突然高熱を出して10日は動けなくなるほど重症になることがあり ました。
そして一番の悩みの種は息子の小児喘息です。
夜中に咳がひどくなると、 救急病棟に駆け込むという不安な日々を送っていたのです。
そんな生活から抜け出すことができたのは、 日本に帰国した時に図書館で出会った自然療法や食事療法、 あらゆる先人たちの伝えてきた代替療法との出会いのおかげでした 。
また、そのころ、瞑想にも出会い、夫婦で瞑想やセラピー、 ヨガを行うことに夢中になっていました。
そして、自分たちの体がみるみる変化し、 体温は上昇し冷えを感じなくなりハツラツとし始めたのです。
AITのキャンパスでは、マリー・ フランスというフランス人女性との運命的な出会いもありました。
彼女からクンダリーニヨガの道に導かれ、 レイキの指導も受けましたし、 ティックナットハン師のマインドフルネスについても学びました。
私たち夫婦は、自分たちの日本の自然療法や食養・ 茶道を彼女に教えました。
そこから、 バンコクでヨガ仲間たちやAITのキャンパス内の家族や学生や教 授・職員たちにも伝え始めました。
ヨガの指導者養成講座で学び始めると、 そこからさらにバンコクに在住の方たちの個人レッスンや素敵なヨ ガ・ピラティススタジオ、幼稚園などでも教え始めたのです。
【バンコクのトンローにサロンを開設】
このような機会が増えるにしたがって、
そして憧れだったトンローという東京の青山のようなイメージの場 所にサロンを構えたのです。
そのサロンはSalon de ChoChoと名付けられ、バンコクのマダムで賑わい、 そして海外からも取材を受けるほどの人気サロンになりました。
- 冷え性が治った
- 婦人病が消えた
- 流産体質が治癒し妊娠できた
- 長年の腰痛が消えた
- 顔のたるみがみるみる持ち上がった
などなど伝説的とメディアに称される体験談が続出していきました 。
その声は海を渡り、 サロン開設1年半でメソッドの一つである姿勢美法が念願の書籍化 を果たしました。
書籍の写真はバンコクのサロンにてすべて行われました。
そこからは、 これまでの劇的体質改善のホリスティックな手法を伝授するために 日本語と英語にて養成講座を開講していました。
しかし、2011年に東日本大震災が発生。
そこからは、バンコクのサロンでは、 一人でも多くの日本人に本物の癒しと体質改善をお伝えするべく日 本人のエクスパートを育てることを主眼にバンコク留学講座を開催 してきました。
この留学合宿講座では、 実際のバンコクのサロンという場だからこそ魂が溶け合うような感 応や観想を深められたのだと実感しています。
その証拠に参加者はそれぞれ奇跡的ともいえるような人生の気づき を手に入れるのです。
ある人は、長年の親子の確執を癒し絆をとり戻し、 ある人は夫婦の絆を強めました。
またある人は、 自分のライフワークを身に着け世界を飛び回り活躍し始めました。
人は大きな気づきを手に入れる時、何が起こるかというと、 まず体が大きく変化するのです。
これまで便秘だった方がどんどんトイレの回数が増え、 ウェストがすっきりとし始めます。
あるいは、皮膚が剥けるように輝き始めます。( 実際手のひらの皮がベロンと向けたという方もいます)
参加者は心と体と人間関係に気づきを得て、 新しい自分にそれぞれ生まれ変わってきました。
そして、バンコクのサロンは、 それを意識的に応援してくれていたように私たちは感じています。
私たち自身の気の体がこのサロンという場に深く深く根差していた のです。
だからこそ、 自然治癒力という自然のエネルギーの場に直接つながっている場で あると感じてきました。

私たちが年に何回か戻る度に、 その場の気のチカラの強さを再確認してきました。
サロンの周りの木々に住む朝から夕方まで軽やかに歌い続ける鳥た ちの声が響き渡ります。
それは、まるで脳や脊髄の一つ一つの細胞をゆるめ、 直接汚れを洗い流してくれるような心地よさなのです。
また、今はとても珍しい、 職人の技術が結集した寄木細工で作られた床板はいつも輝きを放ち 、 その上でヨガや瞑想を行う私たちはまるで宇宙空間に浮かんでいる ような気持ちになります。
また、ある時は、 うっすらと自分自身が反射する床はまるで水の上に浮かんでいるよ うな気持ちになれるのです。

真っ白い壁に寄りかかると、 まるで壁が私を包み込んでくれるような優しい穏やかに気持ちにな ります。
これまでに何人の方が同じようにこの壁に包み込まれ体を変えてき たでしょう。
この壁のおかげで姿勢美法のメソッドは大きな効果をたくさんの方 にもたらしたと感じています。
こんな場所は世界に二つとない、 そう確信できるからこそ大切にしてきた場所です。
【さよなら、遂に来たサロンという家族との別れ】
不思議な話ですが、ある日、 私たち夫婦は2人一緒にこのサロンの声を聞きました。
私たちの他に誰もいない所でサロンが私たちに話しかけたのです。
「なるほどねー」と心底、腑に落ちたという感じの声でした。
私たちにはその言葉の意味はなんだったんだろう? と考えてきました。
言葉の意味は分からずとも、その日以来、 サロンにも意識と命があると思い、 大切な家族として接してきたつもりです。
しかし、今、この建物もまだまだ使えるとは言え、 私たちが住み始めた時ですら数十年経過していたことを考えると大 分古くなってきました。
この建物は、一軒家ではなく、 タウンハウスという複数の物件が繋がってできた建物です。
先日、「この建物も建て替えの時期を迎える予定です」 と遂にビルのオーナーからの連絡がありました。
「そんな!・・・」
建て替えてしまうと、 これまで床や壁に宿ってきたサロンの命も一緒になくなるのではな いか。
私たちは恐れました。
このトンローという地域は開発がどんどん進んでいます。
遂に、 古き良き時代の田舎町のような雰囲気を残すサロンのエリアすらも 開発の波が近づいてきたのです。
「近くにスカイトレインの駅ができる予定もあり、 建て替えは恐れければ数年後から早ければ1年以内になるかも・・ ・」
と伝えられたのです。
「形あるものはいつかは滅びる」という言葉の通り、 現実を受け入れなくてはならなくなりました。
私たちの肉体もいつかは滅びるように、 サロンという建物も生まれ変わる時を迎えたのかしら・・・? と考えるようになりました。
私たちは悩みに悩みましたが遂に運命を受け入れ、 この夏のバンコク合宿を最後にサロンとお別れすることを決断しま した。
けれど、サロンという家族と分かれることは断腸の思いです。
長年一緒に過ごした家族と分かれるのと一緒です。
私たちはどうしても、 最後にバンコクのサロンのあの声の持ち主と会話がしたいと思いま した。
サロンは私たちのことをどう思っているんだろう?
お別れについて何を思うのだろう?
ただただ、それを聞きたかったのです。
【サロンとの会話に挑戦してみる!】
私たちはTune-inの手法で瞑想をし、 バンコクのサロンに話しかけてみました。
これはあくまで、 私たちはこんな感じがしたという日記のようなものですが、 会話の内容をお伝えさせてください。
サロンの声の持ち主は5歳くらいの子供で、 アジア人だけどタイ人なのか、判別はできない雰囲気です。
花の刺繍のあるマントのようなものを羽織り、 寝ぐせでぼさぼさのショートヘアです。
男の子か女の子かもわからない感じです。
しいていえば、息子か、 幼いころの私自身に面影が似ている感じです。

(画:ふみえ)
サロンの精はこういいました。( 言ったように私たちには聞こえました。)
以下、私自身の声は(いみ)としています。子供の頃の愛称です。 自分自身が子供となることで会話が成立するため、 こう記させていただきます。
サロン「色んな使い方をしてくれてありがとう。あと、 庭にたくさん緑を置いてくれてありがとう。
体質改善サロンも、合宿講座も、 ギャラリーもリトリートで世界の色んな人が来てくれたことも、 みんな面白かったよ。
君たちほど面白い使い方をしてくれた人たちは、他にいなかった。
君たちがバンコクを離れて暮らすようになってからは、 ヒマな時もあったけど、それでもここに気は通ってたよ。
サロンに来るたびに息子のJ君の成長や君たち自身の成長を感じて きたよ。
君たちがトラブルを抱えるようになった時でさえも、 それだけの器になったんだなって関心しながら見守ってきたんだ。 」
いみ「そういってくれてありがとう(泣)
息子には伝えたいことはある?」
サロン「J君とは、プイさん(一番初めにいたベビーシッター) の頃から一緒に遊んできた仲だよ。
追いかけっこしたり、かくれんぼしたりして遊んだ。
別れるのは残念だけど、J君にとっても、君たちにとっても、 僕は潜在意識の深いところに既にルートを張ってる。
夢で昔住んでいた場所が何度も出てくるように、 そのルートは一生消えないモノになってるんだよ。
だから、僕たちは君たちといつも一緒なんだよ。
壊れて新しくなっても、他の人が住むようになっても変わらない。
なくなってしまっても、まだそこにある。」
いみ「いつも一緒なんだね・・・!涙
あのさ、一つずっと気になってることがあるんだ。あの「 なるほど」っていう言葉の意味はなんだったの?」
サロン「ああ、あれは2010年に本を出版してから、 色々な出来事があったよね。
(2010年初夏、バンコクで暴動が発生し、 私たちは一時日本に戻ったまま、バンコクに戻れずにいた。 サロン活動も休止に追い込まれていた)
その後、体質改善を表面的にではなく、 もっともっと人間関係の気づきやビジョンを得るためのバンコク留 学合宿を開催するんだと君たちは意気込んで戻ってきた。
そのために、様々な試行錯誤をしてきたね。
そして、ちょうど1年後のそのころ、 遂に君たちはそれまでの体質改善サロンという殻を脱いで、 本当に人生に貢献する方法を伝えてみせたんだ。
『なるほどね』、 という声が聞こえたのはそれに心底感心したためさ」
いみ「ああ、そういえば、あれは、 2011年9月の合宿が終わった直後のことだったね。
あの時、 今の婦人科系セラピスト養成講座で行っているお面のワークを初め て行ったんだよね。
懐かしいな。でも、あれからお面のワークはやっぱり、 不思議過ぎるから去年まで封印してしまったんだよね。
でも、昨年から復活させて正解だね。
じゃあ、私たちがサロンの魂と交流している時ってどんな時なの? 」
サロン「別に特別な時じゃないよ。君が手を叩いて踊ったり、 大声で歌ったり、飛んだり跳ねたりしている時かな。
君たちがバランスボールで遊んでて、 J君が転んで泣いた時だって、僕も一緒に遊んでたよ。
あとは、講座の参加者の人たちと遊びのワークをやったり、 キャンドルセッションていう瞑想のワークをしたりするとき。
最後だし、今回の合宿ではそういうのもまた、 ちょっとやってみれば?」
いみ「きっと、私は、 君が一緒にいてくれたからハーブヨガのメソッドの一つ一つを作れ たんだね。
君無しではきっとハーブヨガは存在していなかっただろうね。
他の場所ではきっとできなかったよ。本当にありがとう。
じゃあ、 今度の7月で私たちのバンコク合宿講座も最後になるけど、 君から参加者に伝えたいことは何かあるかな?」
サロン「僕はもう、古いし、 本当に快適だっていえるかわからないけど、人生を変える1週間を 作りたければ来ればいいさ。
僕もこれまでここに溜めてあったエネルギーを出し切るつもりで頑 張りますよ。」
今回のサロンとの会話をあえて、 ありのままに聞こえたままに記してみました。
「快適かわからないけど、人生を変えたければ来ればいいさ!?」
おいおい、そんな言い方は参加者に失礼じゃないか?
印象悪いぞ、と健太郎さんも私も、 そこはカットしたほうがいいんじゃないか、と渋りましたが、
確かに、そのまま書いてしまうには、 ハラハラする言い方のところもありましたが、 あえて私たちが編集せず、そのまま載せてみました。
サロンがここまで率直に語ってくれるとは思いもしませんでした。
恥ずかしながら声を聞きながら、 涙があふれて止まらなくなってしまいました。
それでも、 これまで聞きたいと思ってたことは聞くことができました。
私たちが長年謎に思ってきたことも、今回初めて理解できました。
本当にありがとう、サロンちゃん!
サロンと私たちに残された時間は、7月末までとなりました。
実に残り2カ月を切りました。
そこで、私たちは、この夏、サロンとの別れを最高の形で盛大に祝 おうと思っています。
サロン自身の意見も取り入れて合宿講座を私たちにとっても、 参加者にとっても一生の思い出にします。
一緒に楽しもうね、サロンちゃん!

国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。