人間が生きていくのに欠かせない感覚、それが触覚です。

しかし、この触覚は人によって信じられないほどバラつきがあります。

私は幼い頃から鋭敏すぎる触覚に振り回されてきました。

私は小学校に上がるまで母の耳たぶを触ることを精神安定剤にしている子供でした。

なぜか母の耳たぶを触っていなければ落ちつかないのです。

母が無理な時は、祖母や祖父が変わってあげるというのですが、どうしても母の耳でなければダメなんだと泣き叫ぶのでした。

耳の位置は東洋の身体観では婦人科系の特に卵巣とつながりっています。

耳たぶのみずみずしい柔らかさは、子宮の羊水のぬくもりを思い出させる安心感を与えてくれたのかもしれません。

周りに大人が誰もいないときは、自分の耳たぶをずーっと親指と人差し指で触り続けていました。

また、水遊びが異様に好きな子供で、お風呂の中やプールなどで一人で黙々と水と戯れていました。

手の平に水の雫が落ちる感覚、水中で水がうねる感覚などなど、水特有の触感が面白かったのだと思います。

中学生になっても、プールの自由時間に一人で水の中で遊んでいる様子を友人がみて

「変わった子だね~!」

とまじまじと言われたことを思い出します。

このような変質的な行動と関係があるのか、大人になってサロンを開き、たくさんの方の体に触れるようになると、その人の体の水の状態が分かるようになりました。

私はそれを「水の響き」と呼んでいます。

私はこの水の響き方でその方の婦人科系の状態を把握して来ました。

その人の中の水がたぷんと響く感覚があると、その人の中には若さがまだ十分にあるとわかるのです。

その方が40代で不妊治療を何年も継続してきて結果がまだ出ていない場合でも、この感覚が私の指先に響いてくれば、「大丈夫ですよ。あなたの婦人科系はまだまだ若い。赤ちゃんは作れます」と断言して来ました。

そして、その通りの結果になってきました。

絶対音感というものがあるように、私には絶対触覚があると気づいたのです。

絶対触覚とは、触ることを通じて、対象の内側の状態をみる力。

思えば、私が異様に母の耳たぶの触り心地に執着していた5歳の頃、母は弟を妊娠中でした。

きっと妊娠中の女性の耳は水の状態が完全で絶対触覚をもっている人には猫にマタタビのような魅力があるのかもしれません。

そして、お顔の施術においても私はこの絶対触覚を役立てています。

この感覚があることで、どんなコリも見逃さず、ミリ単位の施術が可能になるのです。

もちろんこれらの感覚は誰でも育てれば一定のところまでできるようになります。

私も、毎日のヨガと瞑想の実践の中で日々、自分の感覚が進化していくのを感じています。

この触覚は音楽家にとっての音感と同じで、施術者には磨き続けなければならない感覚なのです。

国際ハーブヨガ協会の公式アカウントです。宗冨美江(Fumie MUne)と宗健太郎(Kentaro Mune)による共同執筆の記事となります。

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